「英米は敵」という風潮にもかかわらず、惇子は西洋式の育児法を取り入れている。近所に住む英国人女性から外国人専用のベビーナースを紹介してもらい、教えを受けた。乳幼児をおんぶして家事をこなすのではなくベビーベッドに寝かせておいたり、離乳食を導入したり……。のちに「ファミリア」でのさまざまな商品を開発するにあたり、子育ての経験を生かしている。
惇子が60代か70代と思われる写真を見ると、見るからに仕立ての良さそうなジャケットを着て、ポケットにはチーフ、首元にブローチ。化粧も手抜きがなく、眉をくっきりと描き、髪をきれいに染めている。“神戸生まれ”というのがおしゃれな生き方のベースになっていると拝察する。
関西エリアに住む女性のファッションを見るに、神戸っ子はアニマルプリントが流行しても、大阪のおばちゃんのようにヒョウ柄を全面に出すことはしない。靴やスカーフなどの部分使いや、色味を抑えて「流行、ちゃんと取り入れていますよ」とさりげなく装う。とりわけ靴へのこだわりは、関西エリアに住む女性のなかで群を抜いている。靴の製造が神戸の一大産業だからだろう。
惇子の人生においても靴は重要なアイテムであった。戦後、生活が困窮し、戦火をくぐり抜けた新品のハイヒール数点を靴屋に持ち込んで「売ってほしい」と依頼した。するとかつて靴を作った職人は「特別注文品だから売れない」という。困っていると、たまたま惇子が持っていた手芸小物の精巧さに感心した職人が、「店舗の一角を貸すから、手芸品を売ってみれば」と提案してくれた。そこで友人に声を掛け、子ども服や小物を売ることになったらしい。
惇子の呼びかけで始まった女性4人による取り組みは人気を集め、扱う商品や、店舗の面積をどんどん拡大する。1950年には「良心的な育児用品を、子どもと母親の立場で作りたい」との思いを込めて「ベビーショップ・ファミリア」を創業した。戦後、「女性も働かねば」という意識の変化と、夫の後押しが多分にあったようである。
通夫は戦後、ファミリアを大いに支える存在となっていく。海軍仕込みの厳しさで惇子や社員を叱咤激励し、1956年以降は社長として頼もしい経営手腕を発揮した。ヒロインのよき理解者としては「あさが来た」の新次郎様のような優しい夫でありながら、時には「とと姉ちゃん」の花山編集長のような厳しい上司でもあったというわけだ。
「べっぴんさん」の主人公、坂東すみれはどんな人生を歩んでいくのだろう。新しい朝ドラのヒロインへの興味は尽きない。(ライター・若林朋子)