09、10年でビニールハウスを建てて、中の池に温泉水を引いたところ、稚ガメの生育が良くなり、死ななくなった。そして、当初の稚ガメが成長した12年ごろから、町内をはじめ京阪神に出荷できるようになった。太っていて厚みのある香美町のスッポンは、取引先からの評判も良いそうだ。また、スッポンを使った健康食品の製造や、薬膳スープの開発にも取り組んでいる。

 ほぼ1人でえさづくりや温度管理、卵のふ化、親ガメの冬眠など養殖にかかわる作業全般を担うため、増田さんの毎日は忙しい。えさのコストを抑えようと、2週間に1度、町内の漁港にある魚の加工場から余った内臓などを漬物だる4杯分ほどもらい、加熱して細かく刻み、市販のえさと混ぜて与える。また産卵時期は、取ってきた卵を28度の砂の中に埋め、2カ月かけてふ化させる。

 なぜそうまでして養殖事業を続けられるのか。増田さんは「遊んどるよりも仕事しとる方がいいから。食材としても魅力的やしね」と語る。増田さんの情熱に負けたのか、初めは養殖事業にいい顔をしなかった妻も、手伝ってくれるようになったという。

 だが、そこまで手をかけているにもかかわらず、「警戒心が強いから全く慣れない」と増田さんは苦笑する。人がいる時は、池から姿を現すことはない。ビニールハウス内のえさ場にえさを置いても、増田さんがその場を立ち去るまで、決して食べに出てこないという。

 だが、別の男性の目撃情報によると、「増田さんがハウスに近づくと、池の中のところどころでぶくぶくと泡立ち、スッポンが一斉に増田さんの方を向いてほんの少し水面に顔を出す」そうだ。なんだかんだいって、スッポンから愛されているのだろうか。

 スッポンの養殖が定着しつつある中で課題となっているのが、後継者の育成だ。田淵さんら支援者が適任者を探して奔走するが、めどはついていない。「事業として採算が取れるようになったら、誰に渡してもいい。元気なうちは自分でなんとかするが、続けてくれる人がほしい」(増田さん)

 スッポンのように食らいつき、あきらめなかったからこそ、養殖の成功が見えてきた。我こそは、と思う人は、後継者に名乗りを挙げてみてはいかがだろうか。(ライター・南文枝)

暮らしとモノ班 for promotion
美空ひばり、山口百恵、大橋純子、チェッカーズ、来生たかお…懐かしの歌謡曲売れ筋ランキング