出荷できる大きさにまで育ったスッポンを手にする増田さん
出荷できる大きさにまで育ったスッポンを手にする増田さん
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5~8月は産卵の時期。取材に訪れた日は100個以上の卵が産まれていた
5~8月は産卵の時期。取材に訪れた日は100個以上の卵が産まれていた
組合ではチョウザメの飼育にも取り組み、瓶詰キャビアや魚しょうなどを販売する
組合ではチョウザメの飼育にも取り組み、瓶詰キャビアや魚しょうなどを販売する
ビニールハウスの中に池を作って養殖する。増田さんが板の上にお手製のえさを置くと、スッポンが上がってくるのだ
ビニールハウスの中に池を作って養殖する。増田さんが板の上にお手製のえさを置くと、スッポンが上がってくるのだ

 私財をなげうってスキー場近くの耕作放棄地にビニールハウス6棟を建て、ほぼ1人でスッポン約3000匹を飼育している男性がいる。

「養殖池の水を抜いて、大きくなったスッポンを1匹ずつ取るのが楽しみなんです」

 出荷用のスッポンを手にしながらこう話すのは、養殖に取り組む香美町小代内水面組合の組合長、増田時雄さん(72)だ。

 兵庫県北部の豪雪地帯、香美町でスッポンの養殖が少しずつ軌道に乗ろうとしている。「町に何か特産品を」と、スッポンに目を付けて約40年。数多くの失敗を乗り越えて、ようやく生育に適した環境づくりが整いつつある。

 もともと、九州などの暖かい地域で生息するスッポンを、なぜ豪雪地帯である香美町の特産品にしようと考えたのか。

 事の起こりは約40年前。町を活気づけようと、住民有志で出資して温泉を掘り当てたのがきっかけだ。温泉施設以外でもなにか利用できないか思案していたところ、同じ日本海側にある鳥取の浜村温泉で、温泉の排湯を利用したスッポンの養殖を行っていることを知る。田淵覚男さん(81)ら有志8人が、月に5000円ずつを積み立てて資金を集め、養殖に乗り出した。

 現在は後方支援に回る田淵さんは、「失敗ばかりだった」 と当時のことを振り返る。まずはメンバーの1人が保有する町内の建物内にため池を作り、近くの温泉旅館 から温泉水を分けてもらって飼育したが、温泉成分の影響で全滅。次は温泉施設の排湯が流れ込む田んぼで飼育を試み、軌道に乗りかかったが、スキー場関連施設の整備で田んぼが使えなくなってしまう。

 それならと町が整備した養殖施設で育ててみたが、水温が15~16度ぐらいと低く、大きくならないうちに死んでしまった。このぐらいの温度だと、スッポンはえさへの食いつきが悪く、冬眠できるほど低い温度でもないため、体力のみを消耗してしまうという。「温度管理が難しい上に、失敗続きで、養殖への情熱のある人が徐々にいなくなってしまった」(田淵さん)

 増田さんが養殖事業にかかわり始めたのは、ちょうどそのころだ。もともと料理人で、健康によい食材としてスッポンに興味があった。町内で食堂を経営していたことから、1980年ごろにスッポン料理組合を設立、神戸の高級料亭で働く友人から料理の方法を学び、町内に広めていった。息子がUターンして食堂を継いでくれたこともあり、2003年ごろ から、少しずつ養殖事業を引き受けることにした。

 増田さんもスッポンの飼育場所の温度管理には頭を悩ませた。2009年、冬場に道路の雪を溶かすために使われる温泉水を利用することを思いつく。その温泉水は、融雪時以外は使われておらず、常時26度に保たれているため、スッポンの飼育にぴったりだと考えたのだ。

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