6月22日、最終航海を迎える2代目おがさわら丸(撮影:有川美紀子 2008年頃)
6月22日、最終航海を迎える2代目おがさわら丸(撮影:有川美紀子 2008年頃)
「最後の航海に船長でいたかった」と語る京極精一さん。その夢が果たせたら、次は新しい夢を追いかけていきたいという。
「最後の航海に船長でいたかった」と語る京極精一さん。その夢が果たせたら、次は新しい夢を追いかけていきたいという。
おがさわら丸に併走してレジャーボートや漁船から島の人たちが見送りしてくれる。これがあるからまた小笠原に来たくなるという旅行者も多い。
おがさわら丸に併走してレジャーボートや漁船から島の人たちが見送りしてくれる。これがあるからまた小笠原に来たくなるという旅行者も多い。

「さようなら! ありがとう〜〜!」
「また会おうね〜! いってらっしゃーい」

 午後2時、東京都小笠原村父島の二見港は「蛍の光」と小笠原太鼓、そしてたくさんの島の人びとと船の乗客との声が交差する。定期船おがさわら丸の、約6日に1度の出港日、桟橋は見送りの人であふれる。多くの住民がこの時間、職場を抜け出したり、昼休みにあてたりしてわざわざやってくるのだ。

 出港風景は、毎年3月になるとより盛大となる。公務員家族の転勤、高校を卒業し島を出る若者たちの離島が多くなるからだ。卒業生が乗る船の時は、高校の在校生が乗ったレジャーボートが搬送。「龍神」「雷神」の大旗を掲げたり、チアガールたちがポンポンを振って見送る。

 小笠原には航空路がなく、唯一の交通機関となるのが、おがさわら丸(6700トン)だ。東京から小笠原までは約1000キロ。年に数回ある特別便以外はノンストップ25時間半で東京〜父島間を運行する。

 島 の生活のリズム自体、船が作っているといっても過言ではない。本州あての郵便物を出す日、生鮮食料品が入荷する日、ネットショッピングで頼んだ荷物が来る日、すべてが船の入出港日に関係しているのだから。住民のカレンダーにはもれなく「入」「出」の文字が手書きされている。
 
 生活の節目も、涙の別れも喜ばしい出会いもすべておがさわら丸が運んでくる。小笠原住民がおがさわら丸に特別な思いを持つのは当然と言えるだろう。

 そのおがさわら丸が、6月22日東京発(帰路父島発は26日)の航海をもって引退することになった。現在のおがさわら丸は2代目。1997年に就航し、19年にわたりこの航路をひた走ってきた。往復回数は1195回、運行距離は約240万キロメートルにもなる。地球を約60周するほどの距離だ。7月2日からは1万100トンの新造船、3代目おがさわら丸が就航する。

 小笠原海運(株)では、引退する船に感謝を込めてこの4月から最終航海まで「ありがとう! おがさわら丸 ははじま丸キャンペーン」(父島と母島を結ぶ伊豆諸島開発(株)の定期船ははじま丸もこの6月で引退、新造船と交代)を開催しており、 26日の最終航海出港時には引退セレモニーも予定されている。

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