「築地のどんぶり屋」で食べたブリの身は、確かに、白く濁って、ねっとりとしていた。脂が乗って、歯応えのあるブリを街の魚屋やスーパーで見つけることはできても、この熟成されたブリにめぐりあうことは、難しい。今のこの瞬間のために用意されたからこその、この味わい。まさに、目利きあっての、このブリだ。
橘さんは、自宅でも台所に立つことは少なくないとのこと。どんな魚でも、開いてから軽く干して食べると最高だと教えてくれた。毎年正月は、ブリを一本丸ごとさばき、家族に振る舞うのが恒例行事となっているそうだ。
「昔と比べると、お客さんの好みが変わってきました。僕たちは、売れるものを売らなければならない。でも、こっちから売りたいものもあるんです」
この人ならばと見定めた客には、あえて頼まれていない魚も発泡に入れることがあるそうだ。求められるものに応じることも、求められるものを掘り起こしていくことも、橘さんは大切にしている。お客さんとのやりとりがあってこそのこの仕事だと、橘さんは繰り返し言っていた。
ところで橘さんは、若い衆を名字ではなく名前で呼ぶとのこと。
「自分の家族を名字で呼ぶことはないじゃないですか。相撲部屋でもそうでした。仕事場の仲間は、家族ですから」
やまふ家の味は、きっとこれからも、兄弟子から弟弟子へと受け継がれてゆくに違いない。
岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。アサヒカメラ.netにて「アフリカン・メドレー」を連載中