橘さんは、もとは力士だった方だ。店の裏で、注文票と魚をじっと睨みながら、静かにゆったりと魚の仕分けを続ける橘さんの立ち居振る舞いには、優雅さすら感じる。
橘さんは中学卒業後、相撲部屋の門をたたいた。魚の味を見極める舌は、ちゃんこ番で磨かれた。一般的にちゃんこ鍋は塩気がきついことが多いが、橘さんの作るちゃんこは、塩辛なくない。親方は、橘さんのちゃんこを食べるといつも、「今日のちゃんこを作ったのは、誰だ?」と言って、その味を褒めてくれたという。
20歳を過ぎたころ、角界を廃業。一番弟子として入門した北の湖部屋から、この道に入った。「親方の顔に泥を塗るようなことはしちゃいけない。その思いだけで、この仕事を続けてきました。今もその思いは変わらないですね」
やまふ水産の創業当初から続けるこの仕事が楽しくなってきたのは、10年くらいたったころ。自分の客を持ち、自分の目で選んだ魚を勧められるようになったからだ。
「とにかく食べてみるんです。魚でも貝でもなんでも」
貝類は火を通したほうが味わい深いことや、魚は寝かしたほうが味が出ることも、自身の経験から培った。「どんだけ仕入れても、かりに魚が売れなかったとしても、ぜんぜん困らないです。どうやって食べれば魚がうまいかを、わかっているから」
「なんでも新鮮ならいいってもんでもないんですよ。新鮮なイカって、透き通っているでしょ。あれね、あの状態だと、まだおいしくないんです。少し置いて、白くなってきたくらいのを刺し身にすると、おいしいんです。ブリもそう。数日置いて、身が白く濁って、ねっとりしてきたのがおいしい。腐ってるわけじゃないんです」