あと20日余りでロンドン五輪が開幕する。1964年の東京五輪以来、12大会すべての応援に駆けつけ、「13大会連続参戦」を目指しているオリンピックおじさんこと山田直稔さんが2000年のシドニー五輪を振り返る。
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私がずっと応援してきたヤワラちゃんの悲願の金メダルを語らせてちょうだいよ。おっと、当時は田村亮子さん、今は谷亮子さんだね。
世界選手権では何度も頂点に立ちながら、五輪は高校2年で出たバルセロナ、大学生だったアトランタとも銀メダル。最後の一歩が届かず、日本中がもどかしい思いをしてたんだよね。
「シドニーこそ三度目の正直を」と、私は出発直前に動いたんだ。2000年9月6日。彼女の25歳の誕生日に、花束を渡してお祝いし、ちょっと気になることを話そうと思って、日本代表が練習をしていた講道館(東京)へ向かったんだ。
私が気になってたことってのは、そのころ彼女がテレビで口にしていた言葉のことなんだ。「最高でも金、最低でも金」ってのね。
「ヤワラちゃん、あんたは世界一強いのに、なんで2回も銀メダルに終わったか分かる?」
って問いかけてから、言いました。
「自分だけのことを言ってちゃダメ、ご先祖様から始まって、いろんな人に感謝しなきゃ勝てないよ」
そしてシドニー。危なげなく勝ち上がり、決勝も一本勝ち! やっと勝つべき人が勝ったよ。私も感動で震えちゃったよね。
※週刊朝日 2012年7月13日号