どうすれば小泉今日子のように、齢とともに魅力を増していけるのか―― その秘密を知ることは、現代を生きる私たちにとって大きな意味があるはず。

 日本文学研究者である助川幸逸郎氏が、現代社会における“小泉今日子”の存在を分析し、今の時代を生きる我々がいかにして“小泉今日子”的に生きるべきかを考察する。

「小泉今日子は『マウンティング』しないから嫌われないのか」よりつづく

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 バブルに浮かれていた世相に対し、小泉今日子が冷静なスタンスをたもっていたことを、以前述べました(「バブル時代の小泉今日子は過剰に異常だったのか」dot.<ドット>朝日新聞出版参照)。加えて、現在でも語り草になるような「弾けた活動」を彼女がしていたのは、1985年と1986年のほぼ2年間です(「何てったってアイドル」のリリースが1985年、「人拓」で話題を集めた写真集『小泉記念艦』の発売が1986年)。1987年からは、みずからアルバムのプロデュースを始めるなど、「大人の歌手」への路線変更が始まります。

 バブル景気は1990年から終息に向かい、1991年に潰えました。小泉今日子は、周囲がまだ好況に踊っていた段階で、「次」へのステップを踏み出していたことになります。

 彼女は昨年、テレビのトーク番組で「バブルの頃は、いくらでもCMの話が来た。毎日CM撮ってた。それが私のバブル」と語っています(注1)。

 自分は時流に身をまかせていなくとも、異様な熱気がバブル期に立ちこめていたことは、彼女も肌で感じたはずです。そんな「狂乱の季節」が幕を降ろそうとするころに、「あなたに会えてよかった」の歌詞は書かれました。「作家」としての小泉今日子は、「失われゆくもの」に人一倍敏感なのが特徴です(『原宿百景』という「死んでしまった知人の思い出話」ばかりが並ぶエッセイ本も出しています)。一つの時代が去りつつあることへの感慨が、この曲の歌詞を綴る彼女の胸中にあったのではないかと、私は想像しています。

「あなたに会えてよかった」の「あなた」は、小泉今日子が当時つきあっていた恋人のことだ、という噂も耳にします。あそこで語りかけられている「あなた」に特定のモデルがいた可能性は、たしかに否定できません。

 ただし、あの歌が個人的な思いだけを表したものだったら、あそこまでヒットしなかったように思えます。

 私個人は、バブルの恩恵にはほとんど浴していません。それでも、無限に日本が豊かになっていけると、誰もが本気で信じていた様子は印象に残っています。そんな、夢のような時代に別れを告げる歌として、「あなたに会えてよかった」は人びとの心をとらえたのではないでしょうか。

 流行に棹さしていた「文学系アイドル」たちは、1991年の段階では方向転換していません。特定の状況に深く加担してしまうと、そこを離れるのはどうしても難しくなります。トレンドを一歩引いて眺めていた小泉今日子だからこそ、「バブルへの哀悼歌」をいち早く書くことができたのです。

※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました

注1 『ボクらの時代』2014年6月1日放送

助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など