しかし、デビューの明くる年、松田聖子そっくりにしていた髪形を短髪に変え、小泉今日子は「かわいい」から「かっこいい」へ、アピールする方向に転換します。その結果、

「女性アイドルのメインターゲットは若い男性」

 という常識を覆し、同世代女子の絶大な支持を得るようになりました。「かっこいい」を目指して転身することで、小泉今日子は、まったく新しいアイドル像を確立したのです。

 小泉今日子がイメージチェンジに成功した直後、日本はバブル経済に突入しました。この時代、金あまりの世相を反映して、大がかりな予算を投入した悪ノリ気味のプロジェクトがはやりました。その種の企画に、いちばん重宝に使われたアイドルが小泉今日子でした。男性よりも女性に人気があり、奇抜なことを仕掛けるときに起用するとピタリとはまる――今でいうと、きゃりーぱみゅぱみゅみたいなタレントだったのです。

 90年代に入ると、流行の最先端だった渋谷系ミュージシャンたちの手がけた楽曲を歌い、小泉今日子は「お洒落なアーティスト」路線を歩みます。1995年に永瀬正敏と結婚した頃からは、女優としての活動が本格化、いくつもの演技賞に輝きました。2004年には永瀬と離婚。以後は演技と歌の両方で、同世代の女性の心情をもっとも的確に代弁する存在になっています。読売新聞の書評委員など「文化系」の活動も好調です。

 小泉今日子は、どんどん路線をチェンジしていって、つねに時代から求められるポジションに身を置いています。こうしたやりかたは、真似ようとしても、なかなかできる業ではありません。

 アイドルから本格派歌手にイメージを変えようとはかったり、音楽畑で活躍していた人が俳優にシフトを試みたり―― そうした路線変更は、珍しいことではありません。一つのことだけに取り組んでいたのでは、芸能人としての寿命が限られるからです。しかし、小泉今日子のように何度も転身をくり返し、その度にステップアップしていくケースは滅多にありません。

 現在の小泉今日子は、同期にデビューしたアイドルの誰よりも輝いています。その輝きは、デビュー当初から備わっていた天与の魅力ではなく、比類のない「変化する力」によってもたらされたものです。

 この「変化する力」を、どのようにして小泉今日子は手にしたのでしょうか?

※小泉今日子の「謎」はどこにあるのか(中)につづく

※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました

助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など

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