■マンガには作者の全てがでてしまう

ヤ:『テルマエ・ロマエ』の担当編集さんが「マンガは何が面白いかって、作品越しに作者自身が見えてくる時だよね」って言う話をされていたんだけど、それはすごくあると思います。

羽:マンガはその人自身が全部出てしまうので恐ろしいなあと思います。マンガ家になってから、ほかのマンガ家さんにお会いすることがとても増えたんですけれども、普段話していることとマンガに描いてあることが一致している方の作品は面白いんですよ。でも、そこに差異のある方がいらっしゃって、そうするとその作品世界にやっぱり入っていけないなあと思って。

ヤ:私の場合は、こんなにローマの話ばっかりして顰蹙(ひんしゅく)買うだろうなと思うからマンガにしているわけであって。普段、言語化できていないことや自分の嗜好性であったりすることが、マンガという形に姿を変えて出てくるものなんでしょうね。

羽:マリさんから直接伺ったことですけれども、マリさんが遠い異国で風呂桶のないおうちに住んで、お風呂が恋しいって10年以上、思っていたから『テルマエ』を描いたんだと。だからあれは本当に、マリさんにしか描けないマンガだろうなあと。お風呂に入って「気持ちいい!」っていう喜びも、読んでいて「なるほど!」と納得しました。

ヤ:『3月のライオン』を心理描写っていう側面で読んでいくと、「羽海野チカという人は、どれだけいろんな人間のことを考えているんだろう。いろんな側面を持った人物がたくさんいて、全員を動かしていくっていうのはどれだけ大変なことなんだろう」ってびっくりします。私はただ、風呂入っているじーさんとか描けばいいだけなんですけれど(苦笑)

羽:マンガには出てこないんですけれど一応、一人一人に好きなものや嫌いなものを全部書き出してお話を作ってから、その人に登場してもらうんです。自分もそういうタイプのマンガが好きだったので。例えばストーリー上、どうしてもここで事件を起こさなきゃいけないから、いきなり何の理由も持たない悪い人を登場させる、とかはしたくないんです。でも恐ろしいことに、現実にはそういう人がいるかもしれない時代になっていますよね。マンガだと、その人のいろんな側面を描きたくなってしまうんですけれど……。

ヤ:途中で、キャラクターがどんどん勝手に動き出してっちゃって、自分で固有の性質を持って行動するっていうこともありますよね。

羽:あります、あります。そうするとストーリーのほうを変えて、例えばこの先に2人で喧嘩して欲しいシーンがあっても、彼らほどちゃんと考えて話し合える人たちだったら喧嘩にはならないな、と思ったらまた違うストーリーにして。話が2転3転するので、描いていると大変なんですけれども。

ヤ:私は個人的に羽海野さんを知っているので、『3月のライオン』の登場人物全てがなんとなく羽海野さんにシンクロしてきちゃうんですよ。だからこれはもう、彼女自身の葛藤であり、社会や学校という組織、そして将棋というマンガ界とは別世界へのまなざしであり、それぞれの人物の姿を借りて格闘しているのかなと思いながら読んでいます。

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