指導した北島康介選手、萩野公介選手が、計五つの五輪金メダルを獲得している平井伯昌・競泳日本代表ヘッドコーチ。連載「金メダルへのコーチング」で選手を好成績へ導く、練習の裏側を明かす。第12回は「ピンチはチャンス」。
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私たちが合宿を続けているスペインでも新型コロナウイルス関連のニュースは連日大きく報じられています。スペイン、ドイツなどのサッカーリーグでは無観客試合が決まりました。
日本の水泳では3月下旬に予定されていたジュニアオリンピックカップが中止になりました。ジュニアが目標にする大会なので大変残念です。今は力を蓄える時期と考えて、次に活躍できる場所に向けてかじを切ってほしいと思います。
今回は中学2年から指導を続けた北島康介の歩みを振り返って、困難に立ち向かうときの心構えについて考えてみたいと思います。
五輪2大会連続2冠の偉業を成し遂げた北島は故障の多い選手でした。高校生のときはクラスメートと腕ずもうをして腕を痛めたり、サッカーの授業で足首を骨折したり。そのたびに練習に支障が出て、「大事なときに何やってんだよ」と思いましたが、こう考えることにしていました。
「ピンチはチャンス」
腕を故障したらキックを強化する。足が使えなかったら上半身を集中的に鍛える。マイナスを引きずらずプラスに変えていく発想の転換は、指導者にとって大事なことだと思います。
2002年10月、北島は釜山アジア大会の200メートル平泳ぎで初めて世界新を出しました。8月のパンパシフィック選手権は100メートルに優勝した後、右ひじの痛みで200メートルを棄権していました。故障で力みが取れて、キック重視で水の抵抗を減らして進む目指していた泳ぎができたのです。
初めて五輪の金メダルを取った04年アテネ五輪前にもピンチはありました。6月下旬から今回と同じスペインの施設で高地合宿を行ったのですが、日本を発つまで左ひざの故障で十分な練習ができていなかった。さらに7月上旬、米国五輪代表選考会の100メートル平泳ぎでライバルのブレンダン・ハンセンが北島の持つ世界記録を0秒48も更新して優勝しました。