紗倉:思っていました。いいイメージは元々なかったんです。それが幸せだとも思っていなかったし。私は喜美代に対して祖母を投影させたつもりです。こういった思いがあったんじゃないか、というのは小説の中で昇華できたかなという気持ちでいます。勝手に相手の幸せの形を決めつけてしまうのはすごく残酷なことだと、そういう象徴として賢治を描きました。
田原:喜美代が亡くなって、富雄は生きがいや生きている意味がまったく見つけられなくなる。そのうえ、孫の静香には部屋にころがっているアダルト雑誌を見つけられて、「ありえないでしょ、これ。じじいのくせに」と軽蔑されるシーンもある。重なる苦しみから、富雄は自殺するしかないんじゃないかと思った。富雄を死へ追い込みたいんじゃないかって。
紗倉:富雄は清く正しいおじいちゃんとしていたかったけど、一番見られたくないものを見られてしまった。孫から薄気味悪いものを見るような視線を送られて、おじいちゃんなのにおじいちゃんらしくないことをしていると思われることはすごくつらいと思います。
田原:そういうおじいちゃんにとって一番つらいシーンをなんでわざわざ書いたんだろう。
紗倉:静香は、いわゆる世間の目を代表している人物なんです。静香のように世間に言われた時、言われた側はもちろんあらがいたい。そのやりとりは絶対に描きたかったんです。
田原:富雄は静香とけんかになるね。
紗倉:そこで、ようやく自分の思いも放出できて、醜い姿も見せた。清く正しいおじいちゃん像ではない、本当の自分の姿を見せられたんです。すべてをさらけ出した家族なら、2世帯住宅という隔たりもなくして、一緒に生きていけるはずだと思ったんです。前向きな最後にしたいなと思っていたから、富雄を殺したくはなかった(笑)。
田原:高齢者も、もっと性とか性欲に正直になっていいのかね。
紗倉:そうですね。性別とか年齢によって制限されること自体、フェアじゃないと思っています。若い人はよくて年を取っている人はダメとか、そういう根本的な疑問は昔から感じていました。年齢でくくるべきではなくて、誰しも欲はあるし、その欲の形や大きさは変わっても残っていく。その事実をどうしても肯定的に受け止めたかったんです。