4月17日午前10時に新十津川駅を出発した最終列車。札沼線の北海道医療大学~新十津川間は予定より前倒しでラストランを迎えた(C)朝日新聞社
4月17日午前10時に新十津川駅を出発した最終列車。札沼線の北海道医療大学~新十津川間は予定より前倒しでラストランを迎えた(C)朝日新聞社
札沼線石狩金沢駅に到着するキハ40系(C)朝日新聞社
札沼線石狩金沢駅に到着するキハ40系(C)朝日新聞社
1960年11月キ100形ラッセル車が初出動した深名線幌加内駅付近。1941年に全通したが沿線人口が少なく常に赤字だった(C)朝日新聞社
1960年11月キ100形ラッセル車が初出動した深名線幌加内駅付近。1941年に全通したが沿線人口が少なく常に赤字だった(C)朝日新聞社
1995年に廃駅となった朱鞠内駅跡に建てられたバス待合所(写真/ピクスタ)
1995年に廃駅となった朱鞠内駅跡に建てられたバス待合所(写真/ピクスタ)

 さる4月17日、北海道で16駅がその役割を終えた。JR北海道札沼(さっしょう)線の廃止と運命をともにしたのである。こうして路線とともに生涯を終える駅もあれば、ひっそりと姿を消す駅もある。また、時代とともに大きく変貌を遂げ、昔を懐かしむこともあるかもしれない。そこで、個人的に思い入れのあるそんな駅をいくつか拾い上げてみたい。

【写真】1995年に廃駅となった朱鞠内駅跡

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■究極のローカル駅だった札沼線・新十津川

 2020年4月17日、JR北海道札沼線の北海道医療大学~新十津川間で、最後の営業運転が実施された。同区間は5月6日の廃止が決定していたが、昨今のコロナ禍の影響を受けた形で実質的な廃止の前倒しであった。

 札沼線は札幌の隣駅・桑園と新十津川とを結ぶ781キロメートルの路線。廃止対象とならなかった北海道医療大学までは交流電化され札幌近郊区間の様相を呈しているのに対し、以遠は非電化となり運行本数が激減。末端の浦臼(うらうす)~新十津川間は1日1往復のみの超閑散路線として知られていた。

 実際に乗ってみると、桑園側では市街地の高架線が続き、建物が連なるなかをこまめに停車してゆく都市路線だが、あいの里公園~石狩太美間で石狩川を渡ると、車窓は一気にローカル線のそれへと変貌する。石狩当別で気動車に乗り換えたひとつめが新たな終点となる北海道医療大学で、以降の各駅の大半は1日平均の乗降客数が10人に満たなかったばかりか、1往復区間では新十津川を除き0ないし1人台というのが実態であった。北西側に暑寒岳(しょかんべつだけ)を主峰とする増毛(ましけ)山地を望み、意外と車窓美が楽しめるものの、どこか漠然とした風景が素寒貧とした車内と似つかわしく感じられたのを思い出す。

 終点の新十津川は、至近距離に町役場や地域の中核的病院などが集まるなど、そこだけを見れば立派な生活の玄関といえるかもしれない。防風林に守られるようにして、1面1線きりのホームと三角屋根の木造駅舎がひっそりと列車を迎える。訪れた際、変化に富む札沼線の道行きを辿った末に着く駅として、期待を裏切らないロケーションだとうれしくなったものだが、すでにたった1回きりの列車すらやってこない駅と化してしまった。

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新十津川町役場の前庭に駅ホームが再現計画も