札沼線は石狩川の対岸に函館本線が並行しており、路線バスが滝川駅と十津川町とを結んでいる。おそらく、町民の多くはマイカーか特急が頻発している函館本線を利用しているのであろう。廃止後、駅など路線跡地は新十津川町に無償譲渡されるとのことで、駅跡地も整備される予定だという。また、新十津川町役場の前庭に駅ホームが再現される計画があり、駅と路線の記憶は受け継がれてゆくことになりそうだ。
じつは、札沼線は新十津川からさらに34.9キロ先の石狩沼田までを結ぶ路線であった。しかし利用者減から1972年に同区間が廃止。その廃止区間は年月を経て姿を変えた部分が多いものの、一部の路盤跡や橋梁を認めることができるほか、雨竜駅跡地には腕木式信号機が残されている。今回の廃止区間を含め、路線跡地探訪を楽しんでみるのも面白そうだ。
■ジャンクションの夢果てた深名線・朱鞠内
いまひとつ北海道の廃止路線で記憶に新しいのは深名線である。深川と名寄とを結ぶ121.8キロの非電化ローカル線で、1995年に全線が廃止された。起終点を除き沿線に町らしい町がなく、全線のおよそ半分にあたる沼牛~北母子里(きたもしり)間61.1キロを擁する幌加内町(ほろかないちょう)は人口密度の低い自治体として知られている。また、沿線の母子里で1978年2月17日に氷点下41.2度を記録するなど、冬期の気象の厳しさも際立つ。
末期の運転形態は、深川~朱鞠内(しゅまりない)間は4往復(ほかに深川~幌加内間列車が1往復)、朱鞠内~名寄が3往復というダイヤであった。このダイヤからも想像できるとおり生っ粋の閑散ローカル線だったのである。私自身も何度か乗車したことがあるが、若干の通学生の姿こそあったものの、あるときは私を含め鉄道好きと思われる旅行者しか見当たらないこともあったほどだ。
そんな閑散路線が国鉄分割民営化後8年以上にわたり生き残ったのは、沿線の道路整備が進んでいないためであった。それほどに厳しい環境にあった鉄道路線といえるだろう。