――コロナの影響でアルバイトを始める五輪の銀メダリストも現れました。

 僕の場合、現時点では2020年9月までスポンサー契約を結んでいますので、今年の夏までは大丈夫です。その後どうなるかはわかりませんが、世界中が混乱しているいま、お金についての話をするタイミングではないと考えています。不安はありますが、いま置かれた環境でベストを尽くすということだけを考えています。

――そもそも足立選手とカヌーとの出合いはいつですか?

 幼稚園の先生が近くの川でカヌー教室を開いていて、そこで初めてカヌーを体験しました。自分で言うのもなんですが運動神経はよかったので、野球もサッカーも人並み以上にできた。でもカヌーは他のスポーツと違ってめちゃくちゃ難しかったんです。とにかく負けず嫌いで「なんでも一番になりたい」と思う性格。そのままカヌーにのめり込んでいきました。

――その後、”足立少年”は小学6年で初めて大会に出場し、高校3年には日本代表として世界大会にも出場しました。

 高校生くらいまでは順風満帆と言ってもいいかもしれません。でも駿河台大に入って、日本代表Bチームとしてワールドカップなどの世界大会に出場するようになってから状況は変わっていきました。年齢制限のないシニアの大会で下から2番めくらいの順位になることもありました。自分自身と世界との差を痛感したのと同時に「同世代の海外の選手は10位くらいにいるのに自分はなにをやっているんだ」と悔しくて……。あのころは精神的にボロボロの時期だったと思います。

――世界との差は大きかったですか?

 あきらかに海外の選手との間には大きな差がありました。当時も現在もカヌーの中心は欧州で、世界的にみれば日本は辺境の地。でも僕には世界レベルで戦うために必要なお金も環境もありませんでした。どうすれば彼らと対等に戦えるのか、答えのでない毎日が続いていました。

――そこで頼ったのが現在も指導を仰ぐ市場大樹コーチですね。

 はい。大学を中退してコーチのもとに転がり込みました。当時は収入もなかったので、バイトをしながら、コーチが奥さんと暮らしていた山口県の萩市に移り住んだんです。本当に「転がり込んだ」という感じでした。

――そこから阿武川にトレーニングコースを作り、二人三脚のカヌー人生が始まりました。2014年にはアジア大会で優勝。16年にはワールドカップ最終戦で3位など、活躍が続きます。

 コーチとの出会いは本当に大きかったと思います。悩んでいたときに日本代表のコーチだった市場さんに「一緒にやるか」と声をかけていただいた。本当に感謝しています。

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