これらに対し、野党や一部の国民からは「政権による検察の恣意的運用につながる」と批判が集まっている。そもそも、検察の人事権は誰がもつべきなのか。改めて水島教授に見解を聞いた。
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検察の人事は、検事総長は内閣が、検事長以下は法務大臣が任命権を持っています。しかし、検察官適格審査会(国会議員+学識経験者等で構成)によらなければ罷免されないなどの身分保障が検察にはあり、独立性をもっています。公訴権を独占する機関なので、これをチェックする仕組みとして検察審査会があります。十分に機能しているとはいえず、改善の余地はありますが、不当な不起訴処分などを抑制する機能はもっています。
今回の検察庁法改正案は大問題です。ただ、「三権分立が侵される」と言う人がいますが、それは必ずしも正確ではありません。検察は行政機関だからです。
では何が問題なのか。私は、今回の検察庁法改正案が、独立性を有する検察を時の政権の道具とする「指揮権発動の制度化」だと思っています。それはどういうことか。
検察庁法14条には、「法務大臣は、第4条及び第6条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる」と書かれています。法務大臣は検事総長を通じて、起訴・不起訴について指揮できるのです。つまり、今回の法改正案以前から、内閣は検察をコントロールできる力を持っていたのです。これを「指揮権発動」といいます。でも、これは“禁じ手”とされてきました。国民の反感を買うからです。
これまでに唯一、指揮権が発動されたのが、1954年の「造船疑獄」事件です。安倍首相の大叔父にあたる佐藤栄作自由党幹事長(当時)が収賄の疑いで逮捕される見通しでしたが、犬養健法務大臣が、「重要法案の審議中」を理由に指揮権を発動しました。捜査は中断され、その後不起訴になりました。世論の反発は大きく、法務大臣は辞任しています。