しかし、それを題名に据えた山田太一さんの見事さ! 私は実際にその言葉を何回も聞きながら、気にしながら、題名とは思いつかなかった。
「想い出が作れない」
その言葉を四半世紀過ぎて久しぶりに聞いたのだ。様々な行事や催しが中止になって、特別な日の場面がなくなるのは淋しい。
その気持ちはわかるけれど、想い出とは特別の行事や催しの中にあるのではない。何気ない日常の中でその人が何を感じ、何を想ったか。その積み重ねの中にある。誰かほかの人が作ってくれるものではなく、ましてや楽しいこととは限らない。
たとえばコロナでいやおうなく外出自粛を強いられるさなか、日頃見過ごしている自分を知る。
私は「自分を掘る」と言っているが、心の奥深く潜んでいる想いに気付くことが、自分を支える想い出となるのである。
※週刊朝日 2020年5月29日号