人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、コロナ自粛で改めて考えた「思い出づくり」について。
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子供たちの学校がすでに始まったところもあれば、コロナでまだ先の見えないところもある。
卒業式も入学式も修学旅行も中止か延期になって、がっかりした子供も多いだろう。いや子供より親の方が多いかもしれない。
そんな子供たちにテレビ局がマイクを向けていた。
「友達に会えなくて淋しい」
「修学旅行や学校生活で想い出が作れない」
私はふとその言葉に立ち止まった。
「想い出が作れない」。今の子供たちもそう思うのだろうか。
今から四十年ほど前、「想い出づくり。」という山田太一脚本のドラマがあった。TBSの金曜ドラマで人気だったその題名に、私は思わず唸った。さすが山田太一さん。「岸辺のアルバム」などで日常に隠れた心の機微を描き出す手腕はさすがだった。
早稲田大学の教育学部国語国文学科で寺山修司と同級生で親友だった。学部も学科も私と全く同じ先輩であることが誇らしかった。
「想い出づくり。」とは、若い女性たちが結婚前に自分だけの秘密の想い出を作り、やがて結婚という別の現実生活にもどっていくという物語で、その想い出とは恋愛であり、海外旅行であった。
「想い出づくり。」の原案は、拙著『ゆれる24歳』である。TBSドラマのプロデューサー大山勝美さんから、原案として参考にさせてほしいと頼まれたのだ。
そのドラマがオンエアになったとき、私はその題名の見事さにうずくまってしまった。ショックだった。
「想い出を作りたい」とは拙著に登場する若い女性たちの常套句だった。私にはそれがとても不思議なことに思えた。想い出とはわざわざ作るものではなくて、結果として残るものだと私は思う。
ところが当時、結婚適齢期にある女性たちにとって結婚は現実であり、それは一種の束縛であり自由には生きられないことを意味した。だからその前に自分が自分として生きた想い出を作って、それを反芻しながら生きていくという。私にはとても奇妙だった。