さらに、被支配者階層のキャラも充実している。「麒麟」では堺正章や岡村隆史、門脇麦、尾野真千子らの役回りだが、ここでは柳葉敏郎や樋口可南子、そして宮沢りえが務めた。
宮沢はまだ17歳で、女優としては覚醒前といえるが、尊氏の子を身ごもる白拍子の役を初々しく演じた。その後、彼女はスキャンダルもあって悲劇の似合う女優となり、今見るとこの役もしっくりくる。5月17日放送の第7回「悲恋」は彼女がメインで、当時の視聴率は33.1%。これは全49回中3番目に高い数字だった。
そんな宮沢とともに80年代後半の美少女ブームで世に出た後藤久美子も登場する。演じたのは、北畠顕家。そう、国民的美少女・ゴクミを男役にし、悲運の武将として起用したわけだ。
この荒業を実行したのは、製作総指揮の高橋康夫。当時、妻の三田佳子が「紅白」の司会を務めたり、芸能人長者番付1位になるなど絶頂を極めていたから、夫もイケイケの勢いだったということだろうか。この年は途中でバブルがはじけたというのもあって、芸能界や世の中の華やかさとはかなさに思いをはせさせられる作品でもある。
とまあ、俗っぽい話はこれくらいにして、前述した「深い理由」を語るとしよう。「太平記」を傑作にした最大のポイントは、脚本家と時代のマッチングだ。
ちなみに「麒麟」で主役を演じる長谷川博己は池端の脚本について、こんな話をしている。
「本当に繊細で、なかなか一筋縄ではいかないというか。白黒はっきりしているというよりは、淡い色合いが流れていて、行間で多様な意味合いに変わっていくという印象です」(サライ.jp)
これは白と黒、すなわち善悪や正邪といった二元論にとらわれない脚本ということでもある。実際、池端は80年代にビートたけし主演の「昭和四十六年 大久保清の犯罪」や「イエスの方舟」を書き、殺人や宗教の本質に迫って注目を浴びた。また、浅丘ルリ子をヒロインにして「魔性」「危険な年ごろ」を手がけ、悪女のエロスを浮かび上がらせている。要は社会派的視点で白でも黒でもない人間の業を表現することにたけた脚本家なのだ。