TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は、原田芳雄さんと若松孝二監督について。
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桑田佳祐さんがご自身のラジオ番組『やさしい夜遊び』(TFM系全国ネット毎週土曜23:00)で、ステイホームで映画三昧とおっしゃっていた。桑田さんには邦画全盛期の川島雄三監督作品や岸恵子主演、小林正樹監督の『からみ合い』などの名作をいろいろ教えていただいている。
邦画といえば映画『大鹿村騒動記』公開中に原田芳雄さんが亡くなって9年経った。原案を書いた関係で、芳雄さんの映画に対するひたむきさと壮絶な演技を間近で拝見できたのは貴重な体験だった。
うるう年、1940年2月29日生まれの芳雄さんは今年生誕80年。長男でギタリストの喧太さんによると「4年に一度の誕生日だから20歳。やっと酒が飲める年齢になった」。原田邸で開かれる年末恒例「餅つき会」には役者や監督が多く訪れ、その足跡に圧倒される。
誕生月の1週間にわたって渋谷・ユーロスペースで開かれた「特集上映 原田芳雄生誕80年」では『反逆のメロディー』『浪人街』『ツィゴイネルワイゼン』『赤い鳥逃げた?』『出張』『火の魚』などが上映され、トークショーで阪本順治監督、妻夫木聡さん、勝村政信さん、石橋蓮司さん、桃井かおりさんが連日登壇、俳優・原田芳雄の人となりを披露した。
『われに撃つ用意あり』(1990年公開)の熱量には衝撃を受けた。主演原田芳雄、監督若松孝二というタッグにまず緊張し、脇を固める桃井かおり、石橋蓮司、室田日出男、蟹江敬三、麿赤児、西岡徳馬、山谷初男、佐野史郎というビッグネームに背筋を伸ばした。
1968年10月21日の国際反戦デーに勃発したのがいわゆる「新宿騒乱」である。ベトナム反戦の学生が新宿で機動隊と正面衝突、学生4500人、野次馬2万人、警官607人、逮捕者769人にのぼったが、全共闘世代に大きな支持を得た若松監督がメガホンをとり、学生運動後も新宿にしぶとく生き残るバーのマスターを芳雄さんが演じた『われに撃つ用意あり』には騒乱当時のモノクロ映像がふんだんに使われ、時代の残り香が画面から漂ってくるメルクマール的作品だった。