人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、緊急事態宣言が解除に向かったとき、あぶり出されたコロナ対策の問題点について。
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緊急事態宣言が解除されるにつれて、徐々に日常がもどってきた。人々はそれでも規則を守り、第二波、第三波へのそなえをしようとする。それはすばらしいことには違いないが、コロナをめぐる様々な場所で、今まで気付かなかった問題点があぶり出されてきた。それは解除に向かう今クローズアップされている。
友人が仕事の滞在先で怪我をして病院に救急車で運ばれた。命にかかわることはなかったが入院となり、家族が駆けつけたが面会謝絶。入院生活のために持参した身のまわりのものは、マスクを除いてすべてそのまま持ち帰り。他県から来た人に厳しいのはまあ当然としても、ちょっと首をかしげる。
栃木県に移住した友人が突然亡くなった。つい先日会ったばかりだったので、驚いた。血液のガンだったらしいのだが、不調を訴えて、地元の病院で検査を受けるまで時間がかかり、治療も適切に受けられないまま死亡した。病院はみなコロナ対策とそのための病床確保で忙しく、他の患者へのしわ寄せはまぬがれない。ガンの手術予定も延期を余儀なくされていると聞く。
私の知人の医療関係者は、医療崩壊や院内感染を防ぐために、逆に一般の人々の日常を崩壊させているケースもあるのではと危惧する。
たしかに、日本人は、真面目なので決められたことはきちんと守る。しかしそれが行き過ぎると、人々の生活を必要以上にしばってしまうことにもなりかねない。
あるマニュアルが出来るとそれにはまらぬものは排除しようとし、臨機応変に対処することが苦手である。
そのへんのかねあいは、ケースバイケースだが、こうした非常時には、正義だけがまかり通ってしまう。それ以外は敵視の対象になる。