アインシュタインの稲田直樹(WireImage/ゲッティ/共同通信イメージズ )
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 最近、ネット上で志村けんをめぐるこんなやりとりを見かけた。その笑いを、チャプリンのような反権力性を持ったものだとする主張に対し、いや、ひたすらナンセンスを極めようとしたものだとする反論だ。

 なにぶん、多才多芸の人だったからひとつの要素でくくることは不可能だが、思うに、志村の笑いは「イケメンの笑い」だったのではないか。志村の容姿がブサイクではなかったことがその方向性を決定づけたと考えられるのだ。

 たとえば、2001年に出演した「ふたりのビッグショー」(NHK)では、共演相手の沢田研二とのあいだでこんな会話が交わされた。

沢田「よく似てるって言われて」
志村「そうなんですよ」

 そこを利用して、かつてはふたりで鏡コント(両者が鏡を挟んで同じ動きをしようとして、そのズレで笑わせるもの)をやったりした。中年になって以降の志村は、頭髪の後退をネタにもしたが、若い頃は当時の芸能界きってのイケメンに似ていると言われたほど、色男っぽいルックスなのだ。

 それゆえ、素の容姿で笑わせるのでなく、もっぱらメークとアクションで笑わせることに。バカ殿にせよ、変なおじさんにせよ、ひとみばあさんにせよ、メークでブサイクにはしているものの、基本はアクションによって、どこかユニークな人の言動をデフォルメして誇張するキャラクターコントだ。

 こうした「イケメンの笑い」の難しさについて、チュートリアルの徳井義実がこう表現したことがある。

「僕は丸腰で戦ってるようなもの」

 いわゆるブサイク芸人が、容姿だけで笑わせられる「武器」を持っているのに対し、自分にはそういうものがないという意味だ。これはわざとナルシストぶることで笑いをとりにいった冗談でもあるが、ひとつの本質は突いている。というのも、お笑い向きの顔などという言い方があるように、芸人においてはやはり、イケメンはちょっと不利だからだ。

 そのためか、このところのお笑いシーンでは、ひと頃もてはやされたイケメン芸人のブームが終わり、ブサイク芸人が復権しつつあるように思われる。

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宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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「ブサイクの笑い」の難しさ