TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は、村上春樹さんのラジオ番組について。
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「こんばんは、村上春樹です。今日は全編オールディーズ……60年代真ん中あたりまで、僕が10代前半だった頃の音楽を中心に取り上げようと思います。このへんの音楽を、僕は今でもつい昨日のことのように瑞々しく覚えています。そういう年代って、音楽がいちばん身にしみるんですよね」
1964年、アジア初となる東京オリンピックが開催され、60年代の東京は高度成長期の騒々しい時代だった。だが、『村上RADIO~(あくまで個人的な)特選オールディーズ~』(6月14日放送)を聴くと、ハイカラな港町・神戸では時間はゆっくり流れ、夜になればトランジスタ・ラジオから無垢(イノセント)な洋楽が流れていたのだとわかる。
「今日かかるのは、基本的にイノセントでお気楽な音楽ばかりです。思想性、メッセージ、そんなものは毛ほどもありません。むずかしいことは抜きで楽しんでください」
まだ何者でもなかった、音楽が大好きな村上少年がラジオに耳を傾けている。
「僕がいちばん熱心にポップソングを聴いていた時期って、だいたい1960年から65年くらい、つまりビートルズが登場する前の時代です。ビートルズが出てきて間もなく、音楽シーンががらっとスリリングに変わっちゃうんだけど、それより前のポップ・ミュージックには『お気楽』っていうか、蛇が出てくる前の『エデンの園』みたいなのどかな雰囲気が漂っていました」
ラジオは一対一だから、(あくまで個人的な)音楽が記憶に強く結びついている。
「その中ではエルヴィスは別格でした。彼は楽園の中に潜む、鋭い牙を隠し持った甘い毒蛇のような、まったく他とは違う存在でした。僕は彼のデビュー・アルバム『Elvis Presley』を手に入れて、もう夢中になって聴いていました」
エルヴィスを「甘い毒蛇」と形容する春樹さんのDJぶりに、映画『アメリカン・グラフィティ』を思い出した。公開時のキャッチコピーは「一九六二年の夏、あなたはどこにいましたか?(Where were you in ’62?)」。高校を卒業、旅立ちを控えた少年少女たちの朝までの物語。BD(ボタンダウン)シャツの主人公は街で見かけた美女への伝言を託しにDJウルフマンを訪ねる。夜も明け、朝靄の中、夢が覚めたような切なさが印象的だった。
「今日のお別れの曲は、ビリー・ヴォーン楽団の『星を求めて(Look for a Star)』です。この曲は僕が中学校から高校にかけてずっと愛聴していたラジオ関西の電話リクエストのクロージング・テーマでした。だから懐かしいんです。ラジオ関西って、昔はラジオ神戸って言いまして、神戸に局があります。今はどうか知らないけど、僕が10代の頃はだいたい洋楽ばっかりかけていました。夜の7時から9時まで、机の上にトランジスタ・ラジオを置いて、ずっとこの番組を聴きながら、勉強みたいなことをしていました。当時の神戸の少年少女たちは、ほとんどみんなこの番組を聴いていたんじゃないかな。そんなわけで、この『星を求めて』を聴くと今でも胸が微かに熱くなります」
放送が始まれば僕も純粋にリスナーになる。神戸の少年少女たちのような10代に戻れる気がし、書斎で収録する春樹さんを真似て「熱いコーヒーにドーナツ」を用意して……。いや、やっぱりビールかな。
※週刊朝日 2020年7月3日号