また、16年オフにDeNAからFA移籍してきた山口俊も「お世話になると決めたので、一番にチームカラーにふさわしい格好にさせてもらった」と、茶髪を黒く染め、ヒゲも剃って、入団会見に臨んでいる。
その一方で、“紳士の球団”の一員になっても、ヒゲをトレードマークにし続けた選手も少なからず存在する。
といっても、その大半は、レジー・スミス(83~84年)、キース・カムストック(85~86年)、ルイス・サンチェス(86~87年)、ヘンリー・コトー(94年)、シェーン・マック(95~96年)、バルビーノ・ガルベス(96~00年)らの助っ人たちだ。
紳士の本場・ヨーロッパでも、立派な口ヒゲを蓄えたジェントルマンは珍しくない。前記の助っ人たちに共通する鼻の下の口ヒゲは許容範囲で、シピンのように口ヒゲと顎ヒゲがつながった紳士らしくないものは「×」のような“暗黙の了解”もあるのかもしれない。
日本人選手でヒゲを容認された数少ない一人が、94年に横浜から移籍してきた屋鋪要だ。
長い間、口ヒゲをトレードマークにしていた屋鋪も巨人入団後、当時現役だった原辰徳に、強制的なニュアンスではなかったものの、「剃れよ」と言われたという。
だが、長嶋茂雄監督は「そのヒゲね、剃ることないよ」と言ってくれた。そして、「屋鋪、どう思う?ほかの選手見てみろよ。みんなスカートはいて野球やってるよ」と、その理由を口にした。
「荒々しさがないってことを言いたかったんでしょうけど、“ハイ、わかりました!”って。(ヒゲを剃るとか)細かいことにとらわれてたら駄目だって、そういうことを言いたかったのかな?」。かくして、屋鋪は巨人でもヒゲを生やしてプレーを続けた。
当時の長嶋監督は、門奈哲寛にも「顔に迫力がないから」とヒゲを生やすよう勧めたり、村田真一、杉山直輝、入来祐作もこの時期にヒゲを生やしている。ミスターは、ヒゲを“戦う姿勢の表れ”と捉えていたのかもしれない。
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