「常に紳士たれ」がモットーの巨人軍では、「社会人の模範にならなければいけない」という理由から、選手の長髪、茶髪、ヒゲがご法度とされている。
2002年オフ、FA宣言した近鉄の主砲・中村紀洋の獲得に動いたときも、渡辺恒雄オーナー(当時)が「(巨人に)来るなら、髪の毛(金髪)を黒く染め直すことだ」と発言するなど、身だしなみについては、12球団中、最も規律が厳しい球団と言えるだろう。
ヒゲも同様。1978年、大洋時代に長髪とヒゲぼうぼうのワイルドな外見から“ライオン丸”の異名をとったジョン・シピンは、長嶋巨人への移籍が決まると、長髪を切り、ヒゲを剃った若々しい姿で入団会見に現れ、周囲を驚かせた。たとえ外国人選手であっても、巨人の規律を守る姿勢を見せた一例である。
もっとも、シピンは外見こそ紳士に変身したものの、厳しい内角攻めに怒り、一度ならず投手に暴力を振るうなど、行動自体はライオン丸のままだったのだが……。
プロ野球界では、60年代半ばまでヒゲはタブーとされていたが、阪神の捕手・辻佳紀が、66年の日米野球で来日したドジャースのジョン・ローズボロ捕手の積極果敢なプレーに魅せられ、戸沢一隆球団代表を説得。彼のトレードマークだった鼻の下の口ヒゲを生やすことを認めてもらったのが走りといわれる。ヒゲを生やしたプロ野球選手第1号となった辻は、“ヒゲ辻”の愛称で親しまれた。
その後、大洋の守護神・斉藤明雄や阪神時代に最多勝を挙げた下柳剛ら、ヒゲをトレードマークにする選手が相次いだが、南海・野村克也監督は、「野球人である前に、一社会人としての一般常識やマナーも大切」と、ヤクルト、阪神、楽天監督時代も一貫して「長髪(茶髪)、ヒゲ禁止」の方針を全うした。
巨人もこの伝統を守りつづけ、どんなに実績がある他球団の主力選手でも、巨人入団後は、ヒゲを剃ることが慣例のようになった。
07年に日本ハムからFA移籍してきた小笠原道大は、獲得交渉時に前出の渡辺球団会長から「好きなようにしたらいい。時代が違うんだから」とヒゲを容認されたにもかかわらず、「新しいことが始まるので、ずっと決めていた。男のけじめだと思った。風貌じゃない。心の部分が一番大事だと思う」と、トレードマークだった口ヒゲと顎ヒゲを剃った。