50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。2月2日に迎えた70歳という節目の年に、いま天龍さんが伝えたいことは?今回は「夏の思い出」をテーマに、飄々と明るく、つれづれに語ります。
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夏といわれて真っ先に思い浮かぶのが、相撲時代の夏巡業だね。夏の思い出といえばコレ! 夏巡業は40日間くらいあるんだけど、名古屋場所が終わるとそのまま出発して、秋場所の番付発表の1週間か10日前くらいにやっと東京の部屋に帰ってくるんだ。巡業の間、下っ端は関取の荷物持ちをしなきゃいけないんだけど、その荷物がトランク1つ半はあって、毎日それを持たされて移動しなきゃいけない。暑い最中に毎日毎日、大荷物を持って移動。さらに巡業先に着いたら朝早く暗いうちから稽古して、上の人が来るまでにちゃんこを用意して、万全にしておかなきゃいけない。
相撲取りの下っ端は大変だ。関取になってから気が楽になるけど、各地を転々とするから土俵も旅館も違うし、毎日寝るところが違うのは疲れるよ。それに関取になると旅館やホテルに泊まれるけど、下っ端は地方のヘルスセンターなんかに泊まるんだ。夕飯も薄っぺらいトンカツとみそ汁とご飯だけだったりしてね、「おばちゃん、おかわり」って言っても、そこまでのお金はもらってないから、「おかわりなんかないわよ!」って、みんなよく食うからいつもケンカしてたな(笑)。向こうも面倒くさかったと思うけど、まあ50人以上も泊まるから、ヘルスセンターにもまとまったお金が入って、向こうも実入りの面では大きかったんじゃないかな。
地方巡業の相撲はほとんどが屋外の土俵で、雨が強いと中止になることもある。俺たち力士は雨が降ったら「休みだ!」ってホッとするけど、勧進元はそれどころじゃないよ。今は体育協会のような大きなスポンサーがついてくれるけど、当時は単独の勧進元が多かった。順調にいけば儲かって勧進元の名前も売れるんだろうけど、中止になったら実入りもないし、相撲協会には金を払わなきゃいけないし、力士の宿泊費なんかも含めて、何百万円がパアになっちゃうからね。