最近の出来事では、近畿日本鉄道で運行されていた「鮮魚列車」が2020年3月13日をもって歴史を閉じた。この列車は宇治山田と大阪上本町とを結び、伊勢志摩地方から新鮮な魚介類を大阪に運ぶ役割を担っていた。『行商列車 (カンカン部隊)を追いかけて』(山本志乃著・創元社)によれば、運行をはじめたのは1963年9月。それ以前にも近鉄を使う行商人が少なくなかったが、魚介のニオイなどをめぐるトラブルもあって一般旅客と分ける形で誕生。当初、「伊勢志摩魚行商組合連合会」の貸切りでスタートしたことも本書で紹介されている。また、列車に乗る行商人は全国的に女性が多かったと言われるが、私が総武線で出会ったのも元気な女性たちであった。
近鉄の「鮮魚列車」には専用の行き先表示板が掲げられ、最後まで生き残った「行商列車」として鉄道ファンにも知られていた。日曜・祝日を除き毎日1往復。往路は宇治山田発6時01分、大阪上本町着8時58分、復路は大阪上本町を17時05分に発ち19時18分着の松坂まで運行するダイヤだった。盛んだった時代には200人を超える行商人で賑わったというが、晩年は10人前後だったという。列車廃止に伴い、代替列車として定期列車の最後部にラッピング車両「伊勢志摩お魚図鑑」を連結、鮮魚運搬専用車両として松坂~大阪上本町で運用されている。
■山陰本線で語り継がれる“走る魚市場”
歴史を辿ると、いまひとつ著名な「行商人御用達列車」に辿り着く。山陰本線はカニやエビなどの行商人利用が盛んだった歴史を持つが、とりわけ豊岡、香住、浜坂付近の賑わいは鉄道ファンの間でも昔語りになっている。
この区間で晩年までその輝きを失わなかった列車に浜坂発福知山行き542列車がある。浜坂を早朝4時41分に発車するこの列車は生っ粋の行商列車として知られ、1986年10月まで運行されていた。途中の鎧駅に着くや乗り込んできた行商人たちが次々と座席座面をひっくり返し、たちまちのうちに魚介が満載された発泡スチロールのハコが座席上などに積み上げられてゆく情景が展開していた。荷物が積まれた車内ではさっそく取引がはじめられ、走る魚市場の様相を呈していたという。
この列車には、かつて特急などに使われていた座席貨物合造車・オハニ36形11が最後の現役として活躍しており、その点でもファンに知られた存在だった。木材を多用した車体や白熱灯などは当時でも貴重品だったが、この車両はJR東日本が受け継ぎ、イベント列車などでお目見えすることがある。
ひと時代を築き上げた行商列車。鉄道の役割やその歩みを知る上でも、興味のつきない存在だといえるかもしれない。(文・植村 誠)
植村 誠(うえむら・まこと)/国内外を問わず、鉄道をはじめのりものを楽しむ旅をテーマに取材・執筆中。近年は東南アジアを重点的に散策している。主な著書に『ワンテーマ指さし会話韓国×鉄道』(情報センター出版局)、『ボートで東京湾を遊びつくす!』(情報センター出版局・共著)、『絶対この季節に乗りたい鉄道の旅』(東京書籍・共著)など。