フリーター、出版社勤務、医療系ニュース記者を経て医師になった大脇幸志郎さん。著書『「健康」から生活をまもる』に続き、7月には翻訳書『健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭』を出版した。タイトルのとおり、このふたつは「健康第一」の価値観に疑問を呈する本だ。新型コロナウイルス感染症で揺れるいま、なぜこのタイミングで「健康」を疑うのか。その理由を聞いた。
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――新型コロナウイルスの発生によって、「健康は善」という価値観はより強固になっているのでしょうか。
個人的な感覚としては、健康第一主義の声は歴史的に徐々に高まっており、それがこのコロナ禍によって加速したと感じています。もちろん、日本は外出の抑制も緩和も欧米の動きを後追いでまねしたところがあり、簡単にはくくれません。ですが全体としては、健康を守るべきだ、感染拡大の防止が大事だという声が大きくなっている。
その一方で、自粛によって経済が停滞してしまう、経済も大事じゃないかと主張する対抗勢力も拡大していますが、それは非常に危ない戦略だと思っています。たしかに経済について語ることで、議論はわかりやすくなる。けれども歴史的に「経済第一」は「健康第一」よりもはるかに暴力的な原理だったはずです。それを抑制するために健康というものの重要性が持ち上がってきたはずだった。それなのに経済のほうに重心を戻そうというのは歴史の否定にしかなりません。
仮に「コロナのことばかり心配していられないから経済を優先しよう」という価値観が優勢になったとき、困るのは持病を持っている人であり、高齢者であり、介護施設に住んでいる人です。「経済に貢献していない人のことは知らない」というふうに、弱者に攻撃が集中することになりかねない。いま周縁化されている人がよりいっそう置き去りになることを懸念しています。
ですから安全か経済かという対立には同調したくなくて、あくまで健康か生活か、という対立で考えたいと思っています。