当時のことを思い出すと今も冷や汗が出る。「新喜楽」の選考会場の奥がざわざわし、日本文学振興会(文藝春秋)の担当者がうやうやしく作品名を貼り出す。決定だ! 僕はテレカ(懐かしいです、テレホンカード)を手に部屋を飛び出そうとする。いや、しかし……困った。受賞作の読み方がわからない。ビールのほろ酔いがすーっと醒める。「あのぅ、すみません。この作品、正確には何て読むんですか?」と僕は隣に座っていた年配の記者に訊いた。「……実は、私もわからない」。その隣の記者も「わからない」。僕は公衆電話の受話器を握りしめ、作品名の漢字を一文字ずつ女性のデスクに説明した。ああ、それはねと途中で彼女は作品名を教えてくれた。確か米谷ふみ子さんの『過越しの祭』だった。先輩が優秀で助かったが、準備不足を反省した。

 選考委員で印象に残っているのは池波正太郎さんだ。

 選考の経緯を披露したあと、一人の文芸記者が手を挙げた。作品の評価についてだったが、「君はちゃんと読んだのか」と一喝、鬼平なみの眼光に会場は静まり返った。

 受賞者では『最終便に間に合えば』『京都まで』で直木賞を受賞した林真理子さんの記者会見場での少し緊張気味の微笑みは忘れられない。本誌で長く対談連載を続けておられ、先ごろ日本文藝家協会理事長に就任された。その日、僕は林さんの真横にいてマイクを向けて会見の声を収録、翌朝全国に放送した。

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞

週刊朝日  2020年8月7日号

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