夏目漱石、森鴎外、菊池寛、石川啄木、太宰治など、明治・大正・昭和に活躍した文豪たちの悪口を集めた『文豪の悪態 皮肉・怒り・嘆きのスゴイ語彙力』(朝日新聞出版)。大作家たちの言葉な巧みな語彙は、悪口といえども不思議な奥深さを感じさせる。本書の著者で大東文化大学教授の山口謠司氏が、『堕落論』『白痴』などの作品を残した坂口安吾が失敗に終わった「競輪八百長」事件を紹介する。
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坂口安吾(1906~1955)ほど、いろんな方面に興味を示し、幅広いジャンルで作品を発表していった人もいないのではないかと思われる。
『堕落論』『恋愛論』などの評論や社会時評「安吾巷談」、『白痴』『桜の森の満開の下』などの小説、『不連続殺人事件』『心霊殺人事件』などの推理小説、『風と光と二十の私と』『いずこへ』などの自伝小説、『道鏡』『女剣士』などの時代小説、税金滞納に腹を立てて国税庁に対する「差押エラレ日記」「負ケラレマセン勝ツマデハ」などの不払い闘争日記、『日本文化私観』などのエッセイ……しかもどれを読んでもおもしろい!
ところで、安吾は、競輪にも興味を持っていた。
しかし、賭け事としての競輪にではなく、競輪の「八百長」についてである。
昭和25(1950)年4月、45歳の時、安吾は『文藝春秋(第28巻第4号)』に、「今日われ競輪す」というタイトルで川崎競輪の八百長を論じていていた。
当時の競輪というのは、競輪場の場内整理などを請け負う「ボス」によって何やら仕切られていたらしい。
「このボスは東海道名題(なだい)のボスで、土地のボスではなく、ボスに渡りをつけるには、土地のボスの手を通す必要もあり、土地のボスもいくつかあるというわけで、それらにしかるべく顔を立てるとなると、一日に四ツも五ツも八百長レースが黙許されざるを得ない」状態だったと、安吾は書いている。
安吾は、この実態を調べるために、当時住んでいた伊東から川崎までやってきて、3日間掛けて、競輪の選手3人などに話を訊きながら、八百長の実態を調べようとしたのだった。
それは、安吾が当時住んでいた「伊東市でも、目下、競輪場を作るか否か、大問題になってい」たからであった。