ところが、これに対して安吾は、「通産省や連合会がどんな断定を下そうとも、私はあの判定写真はインチキだと確信している。検察庁の調べで一切の黒白は決まるだろう」と、あくまで「八百長」を主張するのだ。
そして、自転車振興会の「八百長」について「光を覆うものなし」(『新潮』11月号、筑摩書房「ちくま文庫版」坂口安吾全集16巻所収)という論文を書いて反駁した。
「一般世間では、競輪騒動と云えば、見物人と選手が悪いように考えられているが、選手が自発的にインチキを行うことは不可能だし、見物人は不正レースを知りつつもどうすることもできない哀れな、被害者にすぎないのだ。実は世間的には不正のカントク者と考えられ、競輪向上の心棒のように考えられている振興会や連合会というものが、唯一の不正の元凶だ。彼ら以外に競輪の不正を行いうる立場にいる者はいないのである」
安吾は、多くの人から励ましの手紙をもらったというが、結局、検察庁が調べに入ることはなかった。
こうして安吾は、日増しに、被害妄想が激しくなり、アドルム(催眠鎮静薬)を多用して半狂乱になってしまう。
そして、「証拠写真そのものをグラビアで精巧に印刷し、説明を加えて、自費出版する」(『別冊新評 裸の文学史』)という計画が外に漏れてしまった!と言って暴れ回ったのだった。
同年12月7日、「『競輪問題』は不起訴に 坂口氏の不正の主張認めず」という記事が朝日新聞朝刊に掲載される。
そして12月29日、静岡県地方検察庁沼津支部で、競輪事件の不起訴処分通知が出されることによって、この事件は幕を閉じた。
これを受けて、安吾は、翌年「茶番に終わった、要するに全然ムダであり、私はフリダシに戻って文学者としての自分の在り方を再確認しただけのことです」(『別冊新評 裸の文学史』)と記したのだった。(大東文化大学教授・山口謠司)