それは2人の「格差」でもあり、ラブストーリーを盛り上げるための設定でもあろう。だけど彼女らの仕事への情熱がきちんと描かれる。仕事に誇りを持つ女性と向き合ううちに、御曹司が変わっていくのだ。
3作とも最初は、お金があって超ハンサムな、俺様男として登場する。あれこれ命じる鼻持ちならない俺様だが、次第に女性の生き方を尊重するようになる。「従わせる」が「寄り添う」になり、働く女性をそのまま愛するようになる。そういうハッピーエンド。「シークレット・ガーデン」は最終話の出世したヒロインが爽快だから、そこにたどりつきたくて2周目に入った。
そして感服するのが、変化していく仕掛けもヒョンビンの演技も進化しているところ。「シークレット・ガーデン」はヒョンビンとヒロインの心と体が入れ替わる。ヒョンビンは過剰でない演技で女の子を表現する。そして、最後に彼はある結論を出す。確実に、「守る男」ジョンヒョクへの道だと思う。
「ジキルとハイドに恋した私」の仕掛けは多重人格。自分本位の御曹司の別人格は「人を助ける」ために出現する。「愛の不時着」を知った今では、偶然とは思えない。別人格の彼は、体を張ってヒロインの命を守り、愛し、それは主人格に受け継がれる。2人を演じ分けるヒョンビンにうっとりしながら、ジョンヒョクへの道だと思う。
「変わって守る」2作を経て、最初から守り続ける「愛の不時着」へ。まっすぐな道。
もう一つ、声を大にして言いたいのが、ヒョンビンが演じると、どんな役柄もマッチョ男にならないということ。弱さや寂しさをにじませる演技力もある。だがそれ以上に、ヒョンビンという人のフラットさが大きいのではないだろうか。男性はかくあるべし、女性はこうすべし。そういうものと無縁な人だと思う。そうでなければ、あれほど自然に家事をする姿は演じられないのでは、と。
例えば「彼らが生きる世界」のヒョンビンは、恋人の家でも自分の家でも、掃除をして食事を作って、食器を洗う。08年のドラマで若い男性会社員が家事をするって、すごいことだと思う。それを自然に見せてしまうヒョンビン。ちなみに、恋人をおんぶしながら掃除機をかけるシーンがあって、これはかなりの胸キュンだったりする。