このままでは、お父さんの死が無駄になってしまうのではないかと、悔しくて、悔しくて、仕方がありません。岩手の事件が全面解決とならなければ、お父さんの想い、志は無駄になってしまいます。私たちの思いはただひとつ。真実を調べてほしいということ……。

 事件の取材にかかって2年あまり。同時に2冊目の警察小説も、ある出版社から出せると頑張って書いていました。編集者と何回も打ち合わせをし、何度も書き直しました。でも、出版の話はダメになりました。

 この小説はお父さんが最初に配属され、私たちふたりが出会った警視庁本富士署を舞台にしたものです。現地に何度も行き、ビデオに撮っては原稿の完成に力を注いでいました。それほど強い思い入れがあっただけに、さぞ悔しかっただろうと思います。何か妨害があったのでしょうか?

 結局、2冊目の小説は、友人の計らいでネットで公表してもらい、出版社のインシデンツから『誤認手配』というタイトルで出版してもらう予定です。

 1冊目の小説『臨界点』も、あるテレビ局でドラマ化されるという話がありました。脚本まで書いていただいたのに、この話もボツになりました。何かと敵視していた警察がドラマ化を邪魔したという話も聞いたことがあります。

 今回のお父さんの件では、清水弁護士はじめたくさんの方々に心配していただき、私たち残された家族はどれだけありがたかったか、言葉にできないくらいです。

 半面、警視庁の知り合いはほとんど来てくれませんでした。私の知り合いも、お父さんと仲良くしていた人も来てくれませんでした。お父さんを警察の敵だと今でも思っているのでしょうか? これほど警察を思っている人はいません。

 10月19日に33回目の結婚記念日を迎えました。昨年の記念日には、お互いに、
「33年目もよろしく」
 と言い合っていたのに。

 私たち夫婦は本当に仲の良い夫婦だったと思います。私はお父さんのことが大好きでした。お父さんも私を大事にしてくれました。専業主婦を8年間した後、少しずつ仕事をしていましたが、お父さんがいたから、のびのびと仕事ができたのだと思います。

「家族は世界でいちばん小さな組織だから」

 お父さんがよく使っていた言葉です。

 あるとき、ふたりで朝のゴミ出しに行って、お父さんがこんな話をしました。

「俺たちにとって宝ものって何だろう?」

「もちろん、ふたりの子どもたちでしょう」

「そうだよな。ふたりとも自分の生きる道を見つけてくれて、ありがたいな」

 今もひとりでゴミを出しに行くと、そのときの会話が思い出されます。

 東日本大震災では署名活動で回った地域がだいぶ被害を受けたと聞いています。もし生きていたら、すぐに現地に飛んでいっていたことでしょう。 (構成・西島博之)

     *

黒木昭雄(くろき・あきお)1957年、東京都生まれ。76年、警視庁入庁。23回の警視総監賞を受賞し、99年、荏原警察署巡査部長を最後に依願退職。以後、ジャーナリストとして活躍。著書に『栃木リンチ殺人事件』『神戸大学院生リンチ殺人事件』(ともに草思社)など。正子さんと78年に結婚、長女(25)、長男(22)をもうける。

<三陸少女殺害事件>
2008年7月1日、岩手県川井村(現・宮古市)の沢で、佐藤梢さん(当時17)が絞殺体で発見された。岩手県警は容疑者として無職の小原勝幸氏(当時28)を指名手配し、警察庁は100万円の懸賞金をかけた。しかし、黒木昭雄さんの取材によって、事件当時、小原氏は利き手である右手を痛めていて絞殺は不可能だったことなど、捜査に関して多くの疑問点が浮上した。その後、殺害された梢さんの遺族と小原氏の家族が再捜査を求めるなど異例の展開となり、事件の解明を求める署名を県副知事に提出した。しかし、何の動きも起こらず、警察庁は、黒木さんが亡くなった10年11月1日、小原容疑者の懸賞金を300万円に引き上げた。

週刊朝日

▼▼▼AERA最新号はこちら▼▼▼