〈わかっていると思うが、お母さんを頼む。力仕事と草むしりを拒むな。あの世でお前の成長をおじいちゃんに伝えておく……〉

「ウソでしょう?」
 と思い、家に帰りました。

 そこへ、バイク仲間の方から電話があり、その方にもおかしなメールが来ていることがわかりました。急いでお墓のあるところへ行くと、お墓の前でお酒を飲んだ跡がありました。

 市原警察署で事情を話しているとき、お墓に行っていた息子から電話がありました。

「親父、見つかったよ......」
 と。それからまたお墓へ行きました。さきほど、私が車をとめた奥に、壁で遮られていた場所があり、見慣れた車がありました。その横に、毛布にくるまれたお父さんが横たわっていました。

 シャツの胸ポケットには短い包帯が巻かれていたものが入っていました。それは12年前、義父が病院で亡くなったときに手に巻いていた包帯でした。

 お父さんの手はまだ温かく、柔らかでした。目の前のことが信じられず、頭の中は真っ白でした。

 お父さんの携帯で、前日に会うと言っていた週刊朝日の方に電話しました。すると、「昨日は会っていない」ということでした。

 懇意にしていただいている清水勉弁護士から私の携帯に電話がありました。お父さんの手紙(遺書)が書留で届いたという話をされたということですが、清水弁護士と何を話したのか、よく覚えていません。

◆岩手の事件との出会いは"運命"◆

 お父さんは警察署で検視を受け、夜遅く家に戻りました。東京で働いている娘(25)もすでに帰宅していました。テーブルの上の私の置き手紙を見て泣いたとのことでした。それは、私が仕事に出かける前にいつもどおりに残しておくメモでした。

〈お父さん、おつかれ様。ゆっくりしていて下さい〉

 その後、警察の方や週刊朝日の方など、いろんな方が来てくれました。

 私や娘、息子、そして、姪がお父さんを囲んで一夜を過ごしました。「これは夢なんだ」と何度も思いました。目を閉じて開けたら、そこにお父さんの元気な姿があるのではないかと。すべては夢なんだと。でも、お父さんは何も言いません。

「何で。何で」
 と何度も叫びました。

「通夜、葬儀は家族葬で」
 というのが生前の希望でしたので、そうしました。死に顔を他の人には見られたくなかったのでしょう。
でも、たくさんの方が来てくださいました。

 葬儀が終わり、お父さんはお骨になって家に戻ってきました。日がたつにつれて淋しさ、悲しさ、悔しさが募って仕方ありません。

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