札幌市で今もなおトヨタカローラ札幌の取締役相談役を務める99歳の柿本胤二さんは今年7月の取材で両親への感謝と答えた。

「両親が健康な体で私を生んでくれたことが、まずは生と死を分けたことです。加えて、正直言ってね、やはり小隊長をやっていたことが大きく関与しています。畑を作って働いたわけですが、ただ、それを監督する立場で、体力の消耗は少なかったと言えますね。それとウニなんです。沖のかなり難しいところにウニがたくさんいるんですよね。体力があるもんだから、波に打ち勝ってウニを取ることができるんです。それをかなり食べていた」

 北海道小樽市の平野晴愛さん(83)は、どんなに質問を重ねても、「……」。無言を貫いていた。

 千葉県印旛郡の渡辺義尊さん(91)は、キノコで命をつないだという。

「腐れたヤシの葉っぱにね、雨が降るとキノコがね、うっそうと生えるのです。みんな怖がって食べなかったね。私は食べた。なんともない。そりゃね、名前がわからない。扇を開いたような小さなヤツ。コケのようになっているキノコが……」

 メレヨン島防衛の最高責任者・北村勝三氏は生還者。彼は全国各地の遺族を訪ねて弔問を続け、1947(昭和22)年8月15日、故郷・長野県の山中で自決している。北村氏の次男・内田崇(たかし)さんから「自決の仕方」を私は耳にした。彼自身に非があった、という死のメッセージが残されていた。

 厚生労働省によれば、メレヨン島の遺骨収集はこれまで10回。収容遺骨概数は3052柱(はしら)、直近では14年の32柱。未収容遺骨概数は1850柱。遺骨は千鳥ケ淵戦没者墓苑に納骨されている。

 今、私にできるのは「友よ安らかに眠れ」と祈ること。

 それにしてもメレヨン島で見た澄んだ青空に浮かぶ入道雲、海の青さ、夜空に輝きを放つ南十字星の美しさが、私の脳裏に焼き付いている。

週刊朝日  2020年8月14日‐21日合併号