昨年(2019)年11月30日、相模鉄道(相鉄)とJR東日本との間で相互直通運転がスタート。首都圏路線網に郊外と都心とを結ぶ新たな直通ルートが加わったことは話題になった。複数の既存路線のほか一部に新規路線を介したこの直通運転は、最長で相鉄本線の海老名とJR川越線の川越間101.4キロメートルに及ぶロングランで、都心側では渋谷や新宿に停車、駅や車内などでは「埼京線・相鉄線直通」などと区間に応じて案内されている。そんな直通運転の歴史や実情に迫ってみた。
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■数社間またがりの直通運転も当たり前の時代に
相鉄とJRとの直通運転と同様に新宿副都心を経由して横浜地区と武蔵野方面とを結ぶルートは、JRの湘南新宿ライン(埼京線・相鉄線直通運転と一部重複)のほか、2013年3月に開業した横浜高速鉄道と東急東横線から東京メトロ副都心線を介した東武東上および西武池袋線との相互直通運転がある。湘南新宿ラインはJR東日本の路線ルートだが、埼京線・相鉄線直通列車をはじめ他社の列車が一部に乗り入れ。後者は4社に及ぶ会社間またがり運転となっており、元町・中華街~飯能、元町・中華街~森林公園などの直通運転列車が登場したほか、それぞれの会社の車両が相互に乗り入れるため車両面でのバラエティも際立つ。
こうした異なる会社間における直通運転(乗り入れ運転)の歴史は古く、1904(明治37)年に開業した東武亀戸線電車が亀戸から総武鉄道両国橋(現・JR総武本線両国)に乗り入れに端を発する。この乗り入れはおよそ6年で取り止めとなったが、その後も地方の私鉄を中心に会社間の直通運転が実施されてきた。
直通運転区間は年を追うごとに拡大していったが、エポックとなったのは1960年に開始された都営地下鉄浅草線と京成電鉄との直通運転だろう。この直通運転は現在も続けられており、京成と都営浅草線、京浜急行とを介した成田空港と羽田空港とを結ぶ役割も持つほか、成田空港(京成)~三崎口(京急)141.8キロを結ぶロングラン列車のルートにもなっている。