このウイルスと新型コロナとの違いはただ一つ、急性か慢性かという点だ。それを体内から除去しなければ、たとえ予防でき制御できる災難であっても、一再ならず私たちの身に災禍として降りかかってくるだろう、我が身を含めて! それはこの世界のどこかに身を置くあなたも同じだ。私がチェックできた早送り画面のどれもがそのことを訴えている。
私がタイトルを「私はウイルス」としたのは、災禍のただ中で焦慮のあげく過激な判断に至ったからでは決してない。それは長年持ちつづけてきた思考の大爆発である。私の診断・結論が多くの人に耳目を引くための過激な物言いと映ったとしても、それは間違いなく切実な憂いであり身を切って体得したものだ。
「遠からぬ東方に一群の人あり。その膨大な数の一群の人は死に至るある種の慢性ウイルスを身に蔵している。このウイルスはいつ爆発するやもしれず、その災禍は、彼ら自身はおろか全人類に及ぶ。今次の伝染性がきわめて高い新型コロナウイルス、その伝播は速く、影形なく、誰もが望まぬような逃れようのない惨烈さで広がる。前もって早送り式でリハーサルをしたように、中国式ウイルスはおそらく人類に危害を与えるだろう」
かくのごとき災難を経て、武漢人はかくのごとき計り知れない代価を払うことになった。全世界もまた恐怖の渦に巻き込まれる。
今次の災難を経て、中国人は深刻に反省するだろうか? 私自身はすでに始めているし、同じように反省している人はいくばくかいるだろうが、中国人全体の反省が期待できるかといえば、私は非常に悲観的だ。ただ全体的反省も一人ひとりの反省からしか始まらない。他人がどうあろうと、私がまず責を負おう。
■もはや待てない
私が悲観的になる理由は何か? これまでも何度も反省をしようとしたが、そのたびにぶつかるのは中国の膨大な人口という問題だ。毒を含んだ文化は根深く強固で、反省するのが一人から何人かになり、さらにかなりの人数に増えたとしても、国全体としては少数者たらざるを得ない。これまで私は徒労を感じ、反省を投げ出してしまった。
しかし、武漢人が深刻に反省し、一身を以て行動を始めなければ、中国が次なる災難を乗り切りたいと思ってもそれは無理だ。もはや待てない。