8月28日、安倍晋三総理は記者会見で総理の職を辞すると表明した。
安倍総理は24日に第2次政権発足後の連続在任期間が2799日で歴代最長となったが、その期間内にどんな成果を残したのか。「レガシーなき長期政権」だと言われるが、確かに、外交の成果はなく、アベノミクスの成果も、株と不動産の価格が上がっただけで、実質賃金が下がり続け、国民生活は貧しくなった。最低賃金も先進国とは言えない水準のままで格差の拡大は深刻なレベルだ。
そこを襲った新型コロナウイルスにより、とりあえずはバラマキで経済の窒息をかろうじて防いでいる状況だが、その結果、世界最悪の財政状況はさらに悪化し、ポストコロナに向けたビジョンを示すこともできない。世界の潮流から取り残されるのは必至の情勢だ。そんな状況について、安倍総理はどんな気持ちを抱いているのだろうか。
会見では、それなりに成果を上げたと見えを張ったが、まともな神経の持ち主なら相当悔しい思いでの退陣になったはず。誠に「お気の毒」なことだ。一方、安倍総理と同じかあるいはそれ以上に悔しい思いをしている人たちがいる。官邸官僚と呼ばれる人たちだ。
と言っても、彼らは目指す政策が実現できなくて悔しい思いをしているわけではない。なぜなら、彼らには元々安倍氏と共有する政策目的があるわけではないからだ。
そういうと不思議に思うかもしれないが、実は、彼らの目的は政策ではなく、彼らなりの「自己実現」だ。では、彼らの自己実現とは何か? それは、「やっぱり俺は偉いんだ」ということを日々実感することである。
私は官僚を三つのタイプに分類している。まず、国民のために自己犠牲を厭わない「消防士型」。これは絶滅危惧種になっている。次に、食いっぱぐれのない安定した生活があればよいという「凡人型」。これが多数派だ。そして、第3のタイプとして、「中央エリート官僚型」がいる。
彼らは、幼少期から家庭や学校で褒められて育った秀才君たちだ。褒められおだてられることに無上の喜びを感じる。受験勉強を勝ち抜き東大に入って「すごい!」と周囲に持ち上げられる。法学部で優秀な成績を収め、財務省や経済産業省などの一流官庁に入って、「エリート」と呼ばれる。若いころから民間人に頭を下げさせ、各界のお偉方と肩書だけで付き合える。やがて、日々「俺はやっぱり偉い」と感じる幸せなしには生きられなくなるのだ。