次々に襲いかかる困難にも音をあげず、目標を見失うこともなかった。

 そして1971年、『溟い海』が第38回オール讀物新人賞を受賞。73年には『暗殺の年輪』が第69回直木賞に選ばれた。時代小説作家としての道を本格的に歩み始めた。

「父は本当に仕事を大事にしていて、作家という仕事だけでなく、中学校の先生のときも業界紙に勤めていたときも、いつも真剣に取り組んでいたと思います。専業作家となっても、父の生活はブレることはありませんでした。毎日、2階の“江戸”に出勤し、夕方に“江戸”から“現代”に戻ってくるような感じでした」(同)

 ノートには作品への真摯(しんし)な姿勢もうかがえる。

「徹底して美文を削り落とす作業にかかろう。美文は鼻につくとどうしようもないほどいやみなものだ」

 華美な粧飾はないものの、登場人物への慈愛に満ちた文章は、藤沢の生き方そのものでもあった。

「感謝の気持ちと謙虚な心を忘れない、あいさつは基本、目立つこと、派手なことは嫌い、と常に父は言っていました」(同)

 藤沢が常に望んだ「普通の日」のありがたさを今一度かみしめたい。(本誌・鮎川哲也)

週刊朝日  2020年10月2日号