「『普通が一番』。父は口癖のように言っていました。その言葉が今はとくに身に染みます」
そう話すのは、藤沢周平の一人娘で『藤沢周平遺(のこ)された手帳』の著者でもある遠藤展子さん。鶴岡市立藤沢周平記念館(山形県)が10周年を迎えた今年、父の遺したノートを改めて見返すと、これまで知らなかった父の作家としての信念と、生きることへの葛藤があったことがわかったという。
藤沢は肺炎や結核を患い、生死の淵をさまよった。展子さんが生まれた年に、妻・悦子を亡くすという不幸も重なった。悦子が亡くなった8日後のノートには「人は死をまぬがれることができぬ。展子のために、生きられるだけ生きてやらねばならないだろう」とある。自分とともに残された娘に対しては「展子ひとりで立っている。そして這っている姿勢からひとりでものにつかまらないで立とうとする努力をみた。ものにつかまらずに、展子はひとりで立とうとしている」と記した。
「母を亡くした悲しみのなか、仕事をしながらも娘を育て、強く生きていくという決意がうかがえます。過酷な日々だったのですが、『小説を書かねばならぬ』とたびたび手帳に書いていました」(展子さん)