「深い森の中に包まれた廃線跡を見ていると、碓氷峠という鉄道には極めて厳しい地形に線路を敷設した明治期の人々の意気込みが今に伝わってきます」
■往年の姿を彷彿させる
今回、松本さんにこの時期におすすめの廃線9カ所を挙げてもらった。
東北から中国地方まで、どれもかつては隆盛を極めながら、時代とともに廃線となった鉄道だ。共通するのは「往年の姿を彷彿させる何かしらが残っている」(松本さん)点だ。そしてそこには「痕跡」があると話す。
「線路脇の草むらに転がっている犬釘のように、本来は廃線の際に鉄材として回収されるゴミのような痕跡もあれば、鉄道としての構造物に価値を見いだし公の機関が文化財として認める痕跡もあります。私自身、どちらに出合っても楽しみとなります」(松本さん)
滋賀県と福井県とを結んだ「北陸本線旧線」は、そんな痕跡が色濃く感じられる廃線跡だ。
「北陸本線旧線は大半が明治期の建設で、建設に苦労した。理由の一つは険しい地形にありながらトンネルを掘る技術が未熟で、長いトンネルをつくるのが困難だったこと。結果として、急勾配や大きな迂回を余儀なくされました」(松本さん)
その一つが、木ノ本(滋賀県長浜市)~敦賀(福井県敦賀市)~今庄(いまじょう・同県南越前町)間だ。この区間は、北陸本線旧線の中でも建設年代が早く、地形も険しいことから短いトンネルが連続した。急勾配を避けられず、ジグザグに坂を上る「スイッチバック方式」の駅が敦賀~今庄間(26.4キロ)に四つもあった。
戦後、国鉄は北陸本線のネックとなっていた区間を新線へと改良していった。
敦賀~今庄間は1962年、総延長1万3870メートルの北陸トンネルが開通すると同時に廃止となり、国道や市道に転用された。一方、木ノ本~敦賀間(26.1キロ)は57年、北陸本線から「柳ケ瀬線」として分離され支線として残ったが、赤字経営のため64年、廃線となった。松本さんが言う。