新型コロナウイルスが蔓延する昨今ですが、江戸時代にも恐ろしい感染症がたびたび大流行しています。当時の人々はどのように恐怖と闘ったのか、読み方だけでなく、いにしえの知恵に触れながら感染症との付き合い方を考えてみましょう。
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■人生の“お役三病”として感染症を通過儀礼に
古くは、感染症の中でも特に伝播力の強いものは疫病(えきびょう)とよばれ、人々に恐れられてきました。
病気の原因が目に見えなかったため、神の仕業(しわざ)に例え、その怒りを鎮めるために祈祷や祭礼などが行われました。
江戸時代には、天然痘、はしか、水疱瘡(みずぼうそう)は、一生に一度かかるお役目のようなものとして、人生の「お役三病」と称されました。当時の人々には、病原菌やウイルスの知識はありませんでしたが、これらに一度罹患(りかん)すると二度とかからないことを経験的に理解していたのです。
そのためお役三病を一種の通過儀礼と見なし、三つの病気を無事に終えることが、健康面での最大の願いとされました。
当時の人々は、こうして未知なる感染症とうまく付き合っていたのです。
ここでは天然痘やはしか、そしてコレラに触れていきます。
疱瘡(ほうそう)
天然痘ウイルスによる感染症で、現在は天然痘の名で知られます。感染力が強く、激しい頭痛と高熱の後、顔や手足などに赤い発疹ができます。
子どもや妊婦が重症化すると死亡することが多く、一命を取り留めても顔や体にひどい痘跡(あばた)が残ることがあり、「疱瘡は見目定め」といわれました。
日本では奈良時代から大小の流行が繰り返されましたが、1956(昭和31)年を最後に患者が発生していません。
現在は地球上から撲滅され、過去の病気となりました。
江戸時代には疫病神の一種として擬人化され、疱瘡神と呼ばれました。
大流行が発生するたび、症状が軽く済むようにお守りを貼ったり、疱瘡神が赤を苦手にしたという伝承にちなんで赤い物を身の回りに置いたりして、疱瘡神の退散を人々は祈願したのです。
幕末には、天然痘のワクチン療法である「種痘法」が日本に伝わり、全国各地に種痘所ができ、予防接種が普及しました。