現代社会の闇にメスを入れ、脳科学の視点からわかりやすく解説することに定評のある中野信子さん。作家・林真理子さんとの対談では、「毒親」から「マッチングアプリ」についてまで、人の心理を分析。林さんもおおいに関心を示しました。
【東大生で「メディアに出るのは底辺の扱い」 中野信子がかつての母校語る】より続く
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林:最近『毒親』(ポプラ新書)という本もお書きになっていて、読んだら私も思い当たるフシがなきにしもあらずでした。私は毒親ではないつもりだったんですけど。
中野:私、たまたま今日は友達がデザインした「田園に死す」と書いた服を着てきてますけど、寺山修司さんのカルト的な映画で……。
林:ATG(日本アート・シアター・ギルド)の映画ですよね。
中野:はい。母との葛藤が描かれている作品で、20年前に戻って少年に「君はお母さんを殺して、外に出ないといけない」と諭している場面があるんですよね。私は、人間はなんで親子の問題で何千年も悩んできたのかとずっと考えていましたが、その解決をつけたいという思いで『毒親』という本を書いたんです。
林:『毒親』の中でもおっしゃっていますけど、中野さんは親子が最後は許し合って抱き合って、というのが嫌いだったんですね。「親子の情」とか「師弟の恩」とか「連帯意識」とか言うだけで知能のスイッチが切れて、その言葉に酔う人たちがいっぱいいて、「なぜこんなにすぐ酔えるのだろう」って。「私たち親子じゃないの」とか「私たち友達じゃないの。だからそこを何とか」とか……。
中野:そう言われたときに、「いや、それは何の理由にもなりません」などと拒否すると、この人、性格的におかしいだとか人間としていかがなものかなどと思われるんですよね。でも私からみれば、親子や友達であることがなぜ、思考のスイッチを切ることに直結するのかが不思議でした。思考のスイッチを切る「情」と、「理性」を保ち続けることのバランスを、うまくとれなくなるのがイヤだなと思ったんです。