林:なるほど。
中野:理性の部分を切って「子どもとの絆のほうが優先でしょう?」と持っていこうとすることを、私は「毒親性」というんじゃないかと思ってるんですよね。
林:でも私、それでその場がすむなら、すべてオッケーですよ(笑)。例えば文化人のボランティアの団体があって、以前、地方でコンサートをやったんです。みなさんノーギャラで出てくださるんですが、ある歌手の方が歌に合わせて「さあ皆さん、手を上げてください!♪」ってやると、地元の方たちもみんな楽しそうに立ち上がって手を上げて揺れるんです。でも、その場にいた私の友人は椅子に座ったまま「こういうことをやるから日本人はバカだって言われるんだ。ばかばかしい!」と言うわけ。
中野:私は「ばかばかしい」とは言わないで、さっとトイレに行くタイプです(笑)。
林:私だってやるのイヤだけど、この場が収まるならやっておこうと思うんですよ(笑)。
中野:柔軟性が高いんですね。それに従わない人が一定の割合で出てくるのも、人間のおもしろいところなんですよね。私は海に行くのが好きなんですけど、海の中って小さい魚ほど群れてるんです。そのほうが大きい魚が来たときに食べられないんですね。人間の祖先は海から陸に進出したと考えられていますが、人間の時代になってもまだ「群れ」の本能を持っているのがおもしろいなと思って、いつも群れの様子を見てるんです。
林:昔、平林たい子さんが「とかくメダカは群れたがる」と言ったけど、故郷で同級生たちと群れて、同級生と結婚して、地元の会社に勤めて、3、4人子どもを持つというのが、今いちばん安全な生き方かもしれない。
中野:そう思います。
林:東京に行って、それもエリートとして東京に行くならともかく、地元の大学と偏差値が変わらないような東京の大学に行って、聞いたこともない会社に勤めて、狭いところに住んで、何が楽しいんだろうと思うかもしれない。
中野:土着のコミュニティーの中でやっていけるんだったら、安全で合理的でとても適応的な生き方だと思うんです。これは何の他意もなく、そう思います。そういう生き方と、社会通念としてこれからいいとされる生き方が合致するかというと、意外とそうでもないということはあるかもしれません。また、現行の社会通念が正しいかというと、これも目まぐるしい変遷があって、争って一番を目指す生き方がよしとされる時代と、みんな横並びで一緒に手をつないでゴールするのがよしとされる時代とが交互に来ている感じで。