杉山奈津子さん
杉山奈津子さん
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説明書や契約書のように、ただ額面どおりに言葉を受け止める実用文を読む力は、高校時代の小説を削ってでも得るべきものなのか
説明書や契約書のように、ただ額面どおりに言葉を受け止める実用文を読む力は、高校時代の小説を削ってでも得るべきものなのか

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 2022年から実施される新学習指導要領によると、高校の国語では実用文がほとんどを占めるようになり、文学作品が激減するようです。高2からは論理国語と文学国語で選択になり、大学入試の2次試験で出題されやすい有利なほうを選ぶとすると、大方の生徒が論理を選ばざるを得ない仕組みが出来上がります。

 この流れに関して、高校生という多感な時期に、文学作品に触れない生徒が多くなることによる弊害はないのかな、と不安になります。

■小説を読むことで、勇気が出たり希望をもてたりする

 文学作品に出てくる文章はよく名言集としてまとめられており、自分たちの心にたまった表現しがたい感情を言葉として浮き上がらせ、心を整理してくれます。小説を読むことで、登場人物に共感し、勇気が出たり希望をもてたりします。人生で迷った時の指針となり得るもの、といっても過言ではないでしょう。

 そして文学作品は、人間がもつプラスの面だけでなく、心の中にある「醜さ」「狡猾さ」まで扱います。たとえば芥川龍之介の『羅生門』では、「生きていくためには悪事を犯しても仕方がない」という人間のエゴイズムに迫っています。

 このようなことを、真正面から堂々と取り扱ってくれる教科は、国語のほかにないでしょう。文学作品は、生きていくうえで大切な部分に焦点をあて、人として成長を促す役割を担っているといえます。

 言葉としてはっきり表されていないけれど、隠された意図をくみ取ることを、「行間を読む」といいます。たとえば、もし誰かを食事に誘うメールを送ったとき、相手から、「何度もお誘いをいただいているのに心苦しいのですが……」「なかなか時間が作れないため、こちらからまた改めて連絡させてください」という返事がきたらどうでしょう。直接言葉では表してはいませんが、「乗り気ではない」という意味が含まれているように思えるでしょう。

 このように、人の心は言葉どおりに受け取ればいいわけでなく一筋縄ではいかないもので、相手が本当に伝えたい心や行間を読み取るためには、想像力が必要不可欠です。そして「行間」という単語からわかるとおり、これは文学作品を読むことで身について鍛えられる能力です。

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