ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、将棋について。
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ユーチューブの将棋チャンネルを毎日、見ている。直近の主要な対局はほとんど見られるから便利になったものだ。プロ同士の対局だから序盤の作戦や情勢はまったく理解できず、中終盤になってようやく解説が腑(ふ)に落ちる。十月六日、王座戦五番勝負で旧知の久保利明九段が勝ち、二勝二敗のタイにしたのがとてもうれしい──。
わたしが将棋をはじめたのは小学生の二、三年だったろうか。夏、日が暮れると、町内の大人や子供が縁台のまわりに集まって将棋をはじめる。それを見て将棋のルールを覚えた。あのころの男の子はみんな将棋を指したから、いつも十人以上が縁台を囲んで、次はこう指せ、おまえはこうせい、と指図する。だいたいは弱いほうに味方するから、一人対十人以上の戦いになって最後は誰が指しているのか分からない。そんなふうにしてみんなの棋力があがっていったと思う。
小学六年生くらいになると、町内でわたしに勝つ子供はおらず、(たぶんアマ一級くらいの)父親と指しても互角以上の将棋になり、中学生、高校生のころは小遣い稼ぎの相手になった。父親は負けるくせに、わたしが将棋盤を出すと、にやりとして対面に座る。父親はあまりに負けすぎるから将棋の本を買ってきて勉強したりしていたが、乱戦得意のわたしに勝てるはずはなかった。
高校二年で麻雀を覚えたわたしは父親のほかに指す相手がおらず、将棋から離れた。大学では陶彫の講師をしていたMさん(いまは陶芸界の重鎮)が将棋好きでたまに相手をしたが、負けることがない。将棋は麻雀とちがって実力どおりの結果が出るから、勝ちすぎると誘われなくなる。
大手スーパーに勤めていた四年間は一局も指さず、高校教師になって数学や英語の同僚とはよく指した。英語の教師は将棋連盟の三段の免状をもっていたが、わたしの四勝一敗ペースだったか。免状と実戦は比例しない。日曜朝のNHK杯対局は欠かさず観(み)ていて、たぶんあの三十歳すぎのころが、わたしのいちばん強かった時代だったろう。