作家専業になって八年ほど経ったころ、講談社の『現代』という月刊誌から村山聖(当時、その強さと風貌(ふうぼう)で“怪童”と呼ばれていた)の評伝を書かないかと依頼があった。もちろん、否はない。将棋のプロ棋士がいかなるものか興味があった。
村山聖の広島の生家に行って、お母さんから話を聞き、王将戦挑戦中の村山本人にも会った。彼は人見知りが激しく、取材をしても、はい、いいえ、くらいの反応しかない。受け答えをしてくれるのは師匠の森信雄六段(当時)で、このひとがもうすばらしい人物だった。世馴(よな)れたところがかけらもなく、まるで邪気というものがない。わたしは村山さんより森さんが好きになり、たまに飲んだり、我が家の忘年会に招待したりした。そうして師匠が来ると弟子もいっしょに来る。飲み会のあとは当然、博打(ばくち)大会になってチンチロリンがはじまるのだが、村山さんは強かった。「ゾロっ」といいながらサイコロを振ると、不思議に“ゾロ目”や“四五六(しごろ)”になった。わたしはブラックジャックでも、村山聖にひどく負け越している。
ある年、わたしは森さんから将棋連盟の将棋まつりに参加するよういわれた。会場は阿倍野の近鉄百貨店。八階の催し場に設営されたステージで、衆人環視のもと、女流の高橋和(やまと)初段(当時)と平手で対局するというものだった──。
黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する
※週刊朝日 2020年10月23日号