社会保険労務士の小泉正典さんが「今後いかにして、自分や家族を守っていけばいいのか」、主に社会保障の面から知っておくべき重要なお金の話をわかりやすくお伝えする連載の第14回。最近改定された労働者を守るための社会保障「労災」についてのお話です。
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32歳の佐藤慎二さん(仮名)は、新卒で入社以降ずっと中堅旅行会社に勤務してきました。今年はオリンピックイヤーでインバウンドを始め、いつもの3倍ほどの予約が入っていましたが、新型コロナウイルスの影響でほぼすべてキャンセルに。さらに自粛要請で会社は社員のほとんどを休業させざるを得ない状況となりました。
休業は夏になっても続き、会社からアルバイトなどの副業を認めるとの通知が届きました。このため、佐藤さんは求人のあった近所のコンビニでアルバイトをすることにしました。
ところが、その休業も段階的に見直され始め、月5~10日ほどの出勤となってきたころ、アルバイトの最中、品物を棚卸ししていた際に転倒。運が悪いことに足を骨折し、アルバイトどころか本業にも大きな支障が出てしまいました。
■厚生労働省が兼業・副業を「原則容認」
今年の初めから続く新型コロナウイルスの影響ですが、春先のパニック的な状況ではありますが、働く環境への影響はいまだ大きく、また冬に向けて大きな感染の広がりも見せつつあり、まだまだ懸念は尽きません。
こんな状況の中、働き方もやはり変わってきています。副業や兼業を行う人の増加です。
本業が顧客の減少や販売の不調などでうまく回らなくなったり、また休業状態になってしまったりして、生活を守るためにもともとの職場に籍を置いたまま別の仕事を手掛けて、収入の低下を少しでも食い止めようとした人が増えたためです。また世帯収入の低下により、パートやアルバイトを掛け持ちする人もいます。
コロナ禍で大幅な人員整理に取りかかっている企業も多いですが、半面、運輸やサービス業など人手不足の業界(※1)もあります。
実は副業や兼業を認める流れは、新型コロナウイルスの影響が広がる前からありました。従来、 副業・兼業は原則禁止という企業が当たり前だったのは皆さんもご存じでしょう。
ただ、政府の「働き方改革」の動きもあり多様な働き方が提唱され、また「労働者が仕事の時間以外の時間をどのように利用するかは自由である」といった裁判の判例から、副業・兼業について以前より柔軟な対応が企業に求められるようになりました。さらに厚生労働省の「モデル就業規則(※2)」でも、 「原則禁止」から「原則容認」へ内容が変更となりました。
■従来、副業でケガをした場合は「副業の収入のみ」で補償
ここで問題になるのが冒頭の例のように、職場で大きなケガなどをして働けなくなった場合です。
以前、この連載で労働者が働いているうえでのケガや病気、障害、死亡について補償を行う保険制度「労働者災害補償保険」——いわゆる「労災」について紹介しました。基本的なことを説明しておくと、労災は一般の社員はもとより、契約社員、パート、アルバイトの形態で働く人もすべて対象となります。労働時間の長さや勤務期間に関係なく、雇用されるすべての人が労災保険の対象です。
労災が適用された場合の治療費は、全額が労災保険の療養補償給付の対象になり、ケガをしても原則、自己負担なしで治療を受けることができます。
また収入面への補償もあります。仕事中や通勤途中にけがをして仕事を休むことになった場合には、休業して賃金が支給されていない日が4日以上あれば、休業補償給付(通勤災害の場合は休業給付)が4日目以降から支給されます。
給付されるのは、1日当たりの給付基礎日額(原則、ケガをしたり病気にかかったりした日の直前の賃金締切日以前3カ月間の1日当たりの賃金額)の60%で、さらに休業特別支給金として20%が上乗せされ支払われます。
このような治療費から収入面での補償もある労災ですが、従来は本業以外のアルバイトなどの職場でけがをした場合、「そのケガをした職場だけ」での労災が適用されました。
つまり本業やアルバイトを掛け持ちしていた場合の他の職場での収入はまったく考慮されず、例えば本業で20万円、副業のアルバイトで月5万円の収入があった場合にアルバイトの職場でケガをすると、休業補償給付は「5万円」のみをもとにして計算されていました。
■法律の改正で「すべての収入が合算」されることに
この、労働者にとってはかなり不安のある補償内容が、今年9月の労働者災害補償保険法の改正により大きく変更されました。
新たな内容では「複数事業労働者への労災保険給付は、全ての就業先の賃金額を合算した額を基礎として、保険給付額を決定する」となっています。つまりパートやアルバイトも含めて複数の事業所で労働契約を結んで働いている場合は、すべての給与を合計した額をもとに保険給付額が決まります。
上記の例では合計額25万円から保険給付額が計算されるわけです。すべてアルバイトで収入を得ていた場合も、すべてのアルバイト先の収入を合算します。これは休業時の保険給付だけでなく、障害給付や死亡時の遺族給付でも適用されます。
また同時に今回の改正で、労働時間やストレスなどでの「労災認定」も変更されています。これまで、それぞれの勤務先ごとに労働時間やストレスなどの負荷を個別に評価して労災認定をしていましたが、改正後はそれぞれの勤務先ごとに負荷を個別に評価して労災認定できない場合は「すべての勤務先の負荷を総合的に評価して労災認定できるかどうかを判断する」ことになります。対象となる疾病は、脳・心臓疾患や精神障害などです。
なお、この改正が適用されるのは今年の9月1日以降に発生した労働災害となっていて、それ以前のものについてさかのぼって適用されることはありません。
■「原則容認」とはいっても本業の会社との合意はしっかりと
ただし、いくら副業・兼業が「容認」されているといっても、何でもOKとはなりません。現在でも就業規則で原則禁止となっている場合は、懲戒処分の対象となる可能性があります。また長時間労働などによって仕事上の問題がある場合や、「競業避止義務違反」となっている場合、つまり同業他社で働いて本業の会社の不利益になる場合などは、会社は副業・兼業を禁止できます。
次回も引き続き生活を安定させるための社会保障の基礎知識について解説したいと思います。
(構成・橋本明)
※1 帝国データバンク「人手不足に対する企業の動向調査」(2020年9月発表)から。
※2 常時10人以上の従業員を使用する使用者は、労働基準法の規定により、就業規則を作成し、所轄の労働基準監督署に届け出なければなりません。その基準・ひな型となるのが「モデル就業規則」で、採用から服務規律、休暇、賃金などについて規定例や解説が記載されています。
※本連載シリーズは、手続き内容をわかりやすくお伝えするため、ポイントを絞り編集しています。一部説明を簡略化している点についてはご了承ください。また、2020年11月11日時点での内容となっています。