長野:いま大手メディアがSNSに叩かれてるのはその点なんでしょうね。でもそれは、細かい政策を取り上げても数字が取れないからでしょう? テレビは、やりたくないとか、やらなくていいと思っているわけじゃないんです。テレビは数字のあるものをやるんですよ。ね?

星:そうですね(苦笑)。

長野:極端な話、政策を取り上げて数字があがるなら、テレビは政策ばかりやると思うんです。そういうところありますよね?

星:あります、あります。

長野:ただ、今のままだと、「大事なことをメディアはまったく報道しない」って叩かれる。ものすごく難しいですよね。究極的には、「テレビは数字が取れなくても良心として報道をやります」と言えるのか?っていう問いかけになります。

星:私の経験では、1980~90年代までは、テレビにも報道一筋の記者がいたんです。いつのまにかそういう記者が減ったのはどうしてかと周囲に聞いたら、テレビがメジャーなメディアになって、番組をたくさん作るようになったのが原因だと言うんですよ。オールマイティーに薄く広く手掛ける「なんでも屋」がいっぱい生まれた結果、その道一筋の名物記者がいなくなってしまった。

長野:人手不足ってことなんですね。

星:質量ともにね。

長野:もうひとつ、長年現場にいた私の感覚で言うと、10分以上の特集ができなくなりました。私は「ザ・スクープ」という番組を長年担当してきましたけど、昔は90分のVTRをひとりで作れる記者がいたんです。それが、時間や予算がかかっているのに数字が取れないというので、検証番組ができなくなってきちゃった。同時に、SNSが登場したことによって、ツイッターみたいにテンポよく情報を短くつなぐものにみんなが慣れてしまったから、集中力が90分も続かない。すると、1本の特集の時間がどんどん短くなって、長い番組をちゃんと取材してまとめられるディレクターも育たなくなってきた。さっき星さんがいったように、なんでも屋になってしまうこととの、悪い意味での相乗効果ですよね。

(文中一部敬称略)

(構成/編集部・伏見美雪)

AERA 2020年12月7日号に加筆

「SNS時代にもできることがある 星浩×長野智子がジャーナリズムの希望を語る」に続く。

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