――細野さんは長く野党で政権交代を目指してこられましたが、どうしてですか?
細野:政権交代は手段ではあるけれど、目的ではありません。やっぱり政権交代したらこういう政治をやるという狙いがあって初めて政権交代の意味があります。私は、外交・安全保障は現実的にやって、内政ではダイバーシティやリベラルを進めるという立場でいたかったので、政権交代を目指しました。
――細野さんは、自民党に対抗しうる保守政党を理想としていたと思いますが、確かにいま、政党の選択肢がないように思います。実際に有権者として、投票したい政党がありません。中道みたいなところがあまりないですし。
細野:私が政治の世界に入ったときに野党を選ぼうと思った理由のひとつは、自民党の内政に疑問を持っていたからなんです。例えば家庭では、お父さんが働いてお母さんが専業主婦という特定の価値観にはめてくるイメージがありました。でもいまは、自民党でもLGBTの問題に取り組む人もいますし、私が比較的やってきたことで言えば、児童虐待の問題とか里親の問題などにも取り組んでいます。だから、アメリカの共和党とは違って、アメリカの民主党的な要素も自民党内に含まれています。そこは、自民党のこの20年間の最大の変化かもしれません。意外と内政もやれるなと感じています。
■この国は公文書に対する意識が非常に低い
――細野さんは11年の原発事故のときに、総理補佐官として東京電力の本店にずっといらっしゃって、その後、原発事故担当相にも就任されました。原子力規制庁の生みの親として、今までにない透明性の高い官庁にしようとかなり思い切った公開原則を作られたと思います。そのご経験を踏まえて、森友学園の問題など現在の公文書の取り扱いについてはどう感じていますか?
細野:公文書の扱いは本当に大きな問題です。もちろん森友でもそれは明らかになったんですが、われわれも原発事故のときに、はじめから公文書を残すという発想に立たなかったのは事実です。人的な要因はないけれども、みんな目の前の業務でパンパンなんですよ。今から思えば専属で記録を全部残す人間を置いておくべきだったと思います。